20時59分 母からメール
「祖母の誕生日プレゼントリビングにあるの渡して。今日はコタツで皆で寝たら?祖母、不安でしょうから。父酒飲まないように見張ってて。今日はなにがあるかわからないんだから……」
3月11日は祖母の誕生日です……忘れられない誕生日になってしまった。
プレゼントは金平糖と新しい茶碗。割れてなかった、良かった。
21時51分 母へメール
「3人家にいます。プレゼント渡した。今夜は父酒飲まないし寝ないって。弟のケータイ水没。(某所)の友達の家に泊まって明日帰ってくるって。あとオトさんのケータイバッテリー切れ間近につき、連絡取れなくなってもご心配なく……」
バッテリーは一年使い込んだ携帯の初期装備なので、減りが早いのです。換えもないし、切れたときのことを考えて母にはそうメールを入れておきました。
時間忘れたんですが、某所の燃料タンクが爆発しました。
断続的な爆音に、正直某国からのミサイルがこのどさくさに紛れてついに発射されたのかとも思いました(冗談ではなく本気で思いました)。
薄暗い夕闇に黒煙がのぼっていくのが見えました。ラジオでは爆発の件は何も言わないし、と言うかラジオの方も色々な場所の情報が錯綜しているようでしたし。ホントにミサイルだったら戦争になるんじゃないかとすら思ってました。その後方角的にタンク地帯であることがわかり、ラジオでもそう言っていたので一安心です。それにしても爆音はすさまじくでかいので、地震・爆音・地響き・サイレン……本当に戦争が起こっているような感じでした。あとすごく外はすす臭かったです。
そして思い出したのですが、爆発している某所に弟が泊まると言っていたのでした。
22時58分 弟へメール
「爆発してんのそこ(某所付近)なんだけど大丈夫なん?」
12日 4時32分 緊急地震速報
地震自重……
寝たような寝てないような……暗くてする事も話すこともないし、テーブルの下に毛布かぶって丸くなってたのでうとうとはしていたかも。余震がすごくて、緊張で睡眠とらなくても大丈夫な身体になってるはず。
8時頃 母を迎えに父外出
9時頃 母帰宅
母の職場に停めていた車は津波に流されてしまいました。職場海近いし、しょうがないよね。
幸いと言うか、父の車の方が大きいのと、地震前日にガソリン入れたばかりだったのでまだ焦らなくていい方です。これからしばらく燃料系は入手するのに苦労することとなります。
9時16分 弟からメール
「大丈夫。携帯水没した!これはオトさんかい?みんなと一緒にいるのか?」
アドレスは弟なんだけど、弟の携帯からすべてのアドレスが消えたっぽいです。友達の携帯に携帯カード差して使ってたんだとか。
10時30分 弟へメール
「オトさんだよ。母とも合流して4人自宅にいるよ。全員無事だけど母の車水没。水没してる地帯があるから道選ばないと帰ってこれないかも?」
10時55分 弟からメール
「了解!俺必要?必要なら歩いて帰るけど?あと俺の部屋で必要なのあったらもってって!電池とか」
電池も買えないだろうなと思って温存しておきました。単3電池はオトさんも持って置いていたので結構な数がありましたが、ラジオと懐中電灯に使える単一電池の予備はありませんでした。ピンチ。
13時08分 弟へメール
「そっちが安全なら動かない方が良いよ。移動する方が危ない。無事なら無理に帰ってこなくてもok。定期的に母にメールいれてやって。」
以降友達やメール入ってた人たちに積極的にメールをいれて、携帯さんは力つきました。
地震津波の被害って、多分地震発生から3日間くらいが大変なんでしょ?みたいに思われてそうですが、ここからが本番だ。
地獄の被災生活の始まりです。
以下復興の歩み
14日~ ガソリン・灯油に長蛇の列。町の水配給始まるも並んでいたのに途中で給水車が終わるときがあり、貰えないことも。栄養足りてないのか些細なことでもブチキレる。並んで貰えないのが相当頭に来たので、水は知り合いの医者から定期的にもらうことに。もう並ばない。食料その他の物資が配給されるのは避難施設にいる人たちのみ。自宅避難者には当然何もない。祖母が自宅から動きたがらなかったが、トイレとかその他諸々を考えると施設にぶち込みたくなってくる。
21日 食料尽きそうだったので買い出しへ。店はどこもひどい行列&品不足そして値段は定価。


21日の街中実際の状態
22日 オトさん会社から呼び出し この日から普通に職場復帰
3月末頃(正確な日付忘れた)電気復旧
4月2日 水道復帰
4月3日地元


7日23時33分 緊急地震速報 再び停電
9日 電気復旧
12日 断水
16日 再び水道復活
6月(正確な日付忘れた) インターネット復旧
とにかく復旧の遅いこと遅いこと……11日からしばらく、オトさんの地域では電気と水道とガスが復旧しませんでした。多分普通の人は具体的には想像つかないと思います。
電気が使えないことによって、テレビが見れません。携帯などが使えません。そのせいでワンセグも無理ですね。灯油があっても、コンセントで電源を確保するタイプのストーブだと暖房が使えません。電子レンジも使用不可能です。冬だったのでまだマシですが、冷蔵庫が使えません。そのせいで冷凍庫に入れているものは溶けます。
水道が使えないことによって、当然蛇口からはなにも出ません。
衛生的に色々困るのが水です。
お風呂には入れませんし、毎日の服の洗濯も出来なくなります。
食器が洗えません。トイレが流せません。手が洗えません……
ガスが復旧しないのでお湯や料理が困ります。
幸い家はカセットコンロで色々と凌いでいましたが……
日本人の主食の米とか…水とガスの使用不可能で大変だったんじゃないですかね。
近所のお店も復旧までは時間がかかったところがあって、復旧時期もバラバラでした。
6月18日 石巻に行ったときの写真








10月2日 地元



オトさんにとって一番つらかったのはネットの復旧の遅さでしょうか。津波で町のネットの施設が壊滅しまして…って話を延々と聞いたんですが、隣の地区との差は何だったのかと思います。ネットカフェに駆け込みたくても、そもそもネットカフェも営業してないような状態です。
電気の時も相当イライラしてました。隣の地区は電気復旧とともに各家が煌々と明かりを灯す中、オトさんの地区の暗いこと暗いこと。ろうそくで何日も過ごすと精神状態もおかしくなってきます。電気のせいだけじゃなく、複合的な影響があったとは思いますが、とにかく家族はめちゃくちゃになりましたね。何度○○はやく死ね!って心の中で思ったことか。食事睡眠暖房入浴が制限された、不衛生きわまりない生活を続けていると、こういうことになるんだと思います。しかも被災してすぐ働き始めたのオトさんだけですからね。仕事がないのも苦痛だってわかるけど、疲れて帰ってくるのに、風呂も着替えもないのに怒鳴り散らされたら死にたくなるよ。
電気のある生活が当たり前だった上、電気で生活しているようなゲーム大好き人間から、ネットもゲームも携帯も取り上げたらそりゃ発狂しますよ。
そして被災生活で思ったことは、やっぱ人間は悪だなって強く思いました。
「思いやり・助け合い」そういうのは全国放送のTVが作り上げる幻なんです。もちろん、善は居ます。でも現実は悪が大半を占めていました。
営業している食料店がないか、外に出た時のことです。
壊れたコンビニに若い男性が一人入っていて、店内のもの(泥まみれです)をかき集めていました。売ってくれるのかな?と思って近づいてみると、男は商品を自分の自転車のかごに入れて猛スピードで去っていきました。多分、ただの泥棒ですね。その直後パトカーがやってきて、なぜかオトさんが「店の中に入らないでください!」って厳しい口調で怒られました。入ってないです、理不尽ですね。
そして近くのスーパーでの事、スーパーは2件あります。一方は並んで店内に入り、欲しいものをかごに入れてレジを通るいわば普通のお買い物です。しかし商品は泥にまみれて、普段なら店頭に並べちゃいけないレベルの品を定価で売っています。その隣のスーパーは店のものを無料で配っていました。品物は選べませんが、配るだけなので流れは速かったです。なので何度も並ぶ人がいました。
オトさんは欲しいものならお金を払うのは(安いに越したことはないが)当然と思っている人です。無料で配ってしまったら、本当に欲しい人に行き渡らないんじゃないかと思います。そしてお金を取るなら、商品のレベルもそこそこにしておいて欲しかったです。せっかく並んで店に入ったものの、欲しい物がなかった時の絶望感はすさまじい物がありました。
被災中ありがたい食材は納豆とパンです。
おかず無しで米を食うためのふりかけなんかも、よく売れていたし手に入りませんでした。
米ばっかり食っているとそのままでも食べられるパンが恋しくなり、ホットケーキミックスとか欲しかったのですが、やはりみんな考えることは同じなのかパンもホットケーキミックスも入手困難でした。
被災したパン工場が清掃をそこそこに、生産開始して被災地に売り始めたというのを聞いた時はちょっとそのメーカーのパンを買うのを止めましたけど、結構売れたみたいです。何も知らない方が生きやすいんだろうな。
スーパーは結構長い間、定価での販売が続きましたね。いつもの価格に戻ったのは結構ゆっくりだった気がします。まあ定価でも売れるなら定価で売るでしょうね。物が不足するとそういう商売になってしまうんですね。
なんだかただの愚痴になった気がしますが、ここまで読んでくださった方ありがとうございました。
被災直後にボランティア等で現地入りした方は困惑されたんじゃないでしょうか?被災民は大変気が立っている上、地方の東北弁はかなり口汚く聞こえたかもしれません。
今後このようなことがあるか分かりませんが、もしボランティアに行く事があるとしたら、自分たちの食料や燃料は現地で調達しようとしないで、入る前に万全の準備をしてきていただきたいです。
オトさんは結局ボランティアらしいボランティア活動はできませんでした。
電気・ネット使えないと何もできない、自分のことで手いっぱいでした。お風呂に入れる環境があれば泥かきくらいは手伝いたかったです。
結局死体をみるのが怖くて逃げてしまいました。
反省したいことはいっぱいあります。
頭の中からこの気持ちが消えない限り、募金活動は続けていくつもりです。では!




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