アイオンの鍵

創作好きの絵と文サイト。オト(@oto05i)の日々とウサギ、ゲーム、青い食べ物など。オリジナルイラストとファンタジー小説展示。

日々

3.11

投稿日:2012年3月11日 更新日:

3.11に大震災について、当時から今まで宮城県の被災地のただなかに住んでいるオトさんの体験談を書こうと思います。

ちょうど一年ですし。
幸いにも身内に死者が出なかったので。

ある意味自分補完用。備忘録的文章です。

※被災地の写真が載っていますので、気分が悪くなった方は見るのをやめてください。


その前にオトさんの事と、この文章について少し書いておきます。

当時から今現在も被災地で生活し、今後の移転の予定がありません。
住所を詳しく書くつもりはないですが、人によっては見覚えのあるシンボルで場所の特定も可能かと思います。しかしそれを口外したり、他サイトに載せたり検証したりしないでください。
なぜならこれから書くことがキレイごとだけではない為、そして当時の心境として思ったことを率直に書くと、結果としてある特定の人たちに対する配慮が一切ない文章になってしまった為です。名指しするわけではないので報復の可能性は無いとは思いますが、ネットに個人情報書かれるのは良い気はしないですからね。それだけはご了承ください。

もしこの文章からオトさんのリアルがわかってしまった方、そっとしておいてもらえると嬉しいです。


オトさんは宮城県の、海の見える町に住んでいます。
家族構成は父・母・弟・祖母の5人家族です。
祖母は足に障害があり、歩くのに歩行器が必要になります。週3回昼間のみセンター通いです。父も足が悪いです。

地震当日は家に父と祖母、母は海近くの職場、弟は仙台市の職場、オトさんは自宅から自転車で20分の場所にある川沿いの職場にいました。海も近い。

3月に入ってから妙な異変が周囲でちらちら。まず温暖化と言われ続けていた割に雪が多かったです。3月だと東北でもこの辺りは滅多に降らないことが多かったですから。そして9日辺りから、後に余震と言われますが三陸沖での地震が頻発してました。そして周囲の死亡火災の多さと救急車のサイレンの多さで野生の感でも働いたのか、ツイッターでふと「最近不吉だ」とつぶやいてしまいました。その後仕事の忙しさを理由につぶやかなかったため、ツイッター上では地震以降暫く「失踪」扱いになっています。
今思えば、虫の知らせってやつだったのでしょうか。

2011年3月11日14時46分 緊急地震速報

エリアメールの時間です。地震の正確な時間は良くわからないや。会社のオフィス1Fにいる時でした。事務員の女の子達の携帯が一斉に鳴り出します。みんなドコモだったので。9日にも似たような状況がありました。その時と同じく、会社にいる男女全員外に飛び出しました。こういう時室内にいた方がいいんですか?会社の中は普段から物が散乱しているような状況なので、たぶん机の下も危ないです。オトさんは携帯だけ持って外へ脱出。2Fにいる子もその時ちょうど1Fにいたみたいで同じく外へ。

地震は、長かったです。みんな固まって比較的周囲に何もない会社の敷地の中央で身を寄せあいました。とにかく、電信柱が信じられないくらい左右に振れて、倒れてくるんじゃないかととても怖かったです。足下のアスファルトに亀裂が入り、その割れ目がだんだん広がっていくのをこの目で見ました。

幸い、電柱は自分のいる範囲では倒れませんでした。

地震が収まってきた頃、自分の携帯を見ました。電波のアンテナは立っている状態ですが、電話、メール共に混雑により使用不能でした。インターネットは携帯のバッテリーを気にして付けませんでした。事務員の子が一人ワンセグを付けたのでそれを見せてもらっていましたが、どんな内容だったかあまり覚えてないです。とりあえず、この範囲で地震が発生しました、位しか言ってなかった気がします。

この時から、過去経験したことのない地震だったにも関わらず、オトさんは結構この地震による被害を楽観視していたみたいです。会社は海川近いですが、見えない位置にあるので津波のことなど頭にありません。ただ、職場的には母の会社は海のすぐ近くだったことがあり、何度も電話やメールを入れようとしましたが、どちらも繋がってくれません。
もう一つ、祖母は自宅にいるか、センターにいるか……もし自宅にいるなら、祖母は自力での移動が不可能なので、どういう状態か確認したくて自宅に電話を入れました。3回くらい試して、自宅へのコールを確認しましたが、誰も出る気配がなかったので、出られない状態か、自宅にいないか。とにかく、自宅の状態が心配でした。

この時すでに各地は停電、水道は止まり、トイレは流れない状態になっていたそうです。

その後、会社の社長が来てあることを「指示」されましたが、ここに書くとオトさんのリアル顔バレの危険性があるので書きません。が、津波の警報が出て避難指示が出ていたのに、海のそばの職場ではありえない指示だったと思います。緊急事態ですし、本来は、すぐ自宅に帰りたくて仕方なかったです。
一つ言えることは、警察でも自衛隊でもないオトさんたちはしばらく「仕事」をしていたという事です。

15時22分 弟からメール

「俺仙台で無事。皆大丈夫?」

家族への一斉送信メールでした。

「お、メール入るんじゃん」と思ってこちらもメールを打ち返すことに。

多分タイミングの問題だったと思いますが、一斉送信は何度か送信失敗してます。一斉送信を諦めて個別にメール送ることにしました。

とりあえず父と母に、一番海に近い母へのメールを真っ先に。こちらが無事なことと、弟からメールが入っていて無事だと言っていた事を伝えました。

弟への返信はこちらが無事なことと、父母祖母から何のメールも入ってこなかったので、連絡が取れないことを伝えました。

ホント、早く帰りたかった。

16時00分 帰宅命令

会社は停電で、昼間でもオフィスが暗くてとても歩ける状態ではなかったです。とにかく自分の荷物がおいてあるデスクまで行くのすら危険な状態でした。仕事を命じられましたが、電話がつながらずPCのつかない状態で出来ることはなかったです。そしてやっと出た帰宅命令。

会社に来るときのルートで帰ろうとしたら、警察の方に止められました。津波はもう来ていたみたいです。

自宅に帰るためには川を渡らなければならないのですが、その川に架かっている3本の橋の内、いつも通っている橋は水没、もう1本は落ちたと聞かされ(実は誤報でした)、遠回りになるけど津波を避けて一番高い場所を選んで帰ることにしました。

おそらくオトさんのこの行動は間違っています。本当は真っ先に高い場所、そして避難場所に指定されている学校なんかに行くべきだったのですが、祖母が気になったのと自宅が若干高い場所にあるという確信のない自信の元、家に帰ることを優先させました。一応交通整備していた警察の方に、地理的に自宅付近は安全だろうという確認はとりましたが。

当然行き交う人、車は町から出る方を優先させていて、同じ方向に向かう人とはほぼ出会わなかったです。停電のせいで信号が止まっているので、車だと交差点がカオスな事になっていましたね。無法地帯です。譲り合いの気持ちって大事ですね。

田舎の住宅にありがちな、高いブロック塀や瓦屋根の家が多い場所ですので、至る所で崩壊したブロックや落ちた瓦が道路に散乱していました。

さらに地震は続いていて、電信柱のそばでの余震は結構怖かったです。

携帯のバッテリーを気にしつつも道中で写真撮ってました。歩きながら。途中で雪も強くなってきて、すごい寒かったです。今思うとこの雪も変ですね。地震の影響だと思います。

道中で父からメールの返信が来ました。
「ok」これだけ……
とりあえず父の無事は確認できたので良しとします。

1時間かけて歩きで、途中何度も止まりつつ自宅近くまできました。

ここは田んぼだったんですが、通ったときにはすでに水没して湖のようになっていました。どうやらじわじわと水位が上がっていたようで、歩いてる途中も道路にだんだん水が溢れてきていました。気づいてませんでしたが、津波に追いかけられていたみたいです。

道路よりは自宅の方が若干高い位置にあるので、水没の危機はないと勝手に判断し、自宅へ。

17時00分 自宅到着

自宅付近の住宅は倒壊の危険もなくだいたい無事でした。地割れや塀の倒壊を起こしているところは結構あったけど。そしてオトさんの自宅は外側から見る限りほぼ無傷。真っ先に祖母の部屋を確認したけど、誰もいなかったです。いないと言うことはセンターかと思い、とりあえずセンターにいるなら一人でいるより安全だろうと思いました。

余震が収まるのを見計らって各部屋を見てまわることに。万が一に備えて玄関を開けっ放しにして、地震が来たら庭にすぐ出られるように。それにしても家の中は物が散乱してまぁひどい。ぐちゃぐちゃです。割れ物があるのでうかつに歩けないけど、土足であがるのはやめておきました。特にキッチンは食器がほとんどすべて割れてしまっていたので、見たときは思わず笑ってしまいました。

電気がつかないので、だんだん暗くなってきていて家の片づけは断念。とりあえず祖母の部屋から乾電池式のラジオを持ってきて付けることに。一人だと寂しいけど家が頑丈そうなことと、一応室内なのが唯一の取り柄でした。

17時05分 なんだかばんばん父からの空メールが入る。空だからどういう内容なのかもわからない。と言うか、母と弟から一切メールが入らない、そして繋がりにくいのに、父とのメールだけやたらとスムーズに行える=父の携帯だけ通信の性能が異常に良い?とりあえず父にメールを送ってみる。

「母と連絡取れず。オトさんは自宅にいます。避難の迎えは不要」

余震が多すぎていちいち庭と家の往復が億劫に。家の中の安全地帯確保のため、リビングのテーブルの下を片づけることに。キッチンからの食器の割れ物が散乱していたので、ガラス片を一カ所にまとめつつテーブルの下に潜り込みました。テーブルが結構頑丈な造りなので、家が倒壊しても潰れないかな…と。落ち着ける場所を確保したところで携帯のバッテリーが気になり始めます。まだ母の安全確認してないので消すわけにはいかないし……

17時24分 父からメール

「母は合同庁舎に避難している、家は大丈夫か、津波は大丈夫なのか」

母の無事を父のメールで初めて知りました。後に母に直接聞いたところ、なぜかオトさんにだけ無事だというメール入れ忘れたとのこと。ひでぇ…非常事態だけになおさらひでぇ……

とりあえずこの時点で連絡つかないのは祖母のみ。祖母も、一人ではないだろうと勝手に思っていたので一安心です。

17時34分 家族へ一斉送信メール

「家は水没なし。(近所のとある道路)水没の模様。壁ちょっと割れた。2F父たちの寝室タンス一部半壊。キッチン割れ物あり。食器だいたい壊れた。窓ガラス今んとこ無事。自宅リビング机下(頑丈)に毛布と共におります。」

現状を知らせようとして家の状況をメール。ドコモはメールに時差があっても一応は届くみたいなので、気がついたことは次々とメール入れてました。それにしても携帯のバッテリーが気になるので時々電源をオフにしたりもしました。停電している上、時計も壊れているので、時間を知る方法もラジオの時報と携帯のみ。各部屋の時計を持ってくることは不可能なほど部屋は真っ暗でした。割れ物が怖くて歩き回れない。

18時01分 母からメール

「合同庁舎に非難してる当分帰れそうにない」

この時点でようやく母からメールが。今思ったんですが「避難」って誤字になってますね。句読点もないし。当然絵文字もないですし。この時のメールってだいたいこんな物です。絵文字なんか入れたばっかりに届くのが遅くなったらイヤじゃないですか。送ったメールがリアルタイムで相手に届いているかも不明です。確認する手段なんてなかったです。

18時30分頃 父と祖母帰宅

なんと11日は父は会社夜勤だったらしいです。そして地震の時、祖母と二人車で高台まで避難していたそうだ。

町にはオトさん以外いないんじゃね?って位静かだったところへ、車のエンジン音とヘッドライトが見えたときは何事かと思った。

父に夕方の時点で暗くて、家の片づけはもう出来ないと伝えると、明かりとして車のヘッドライトが使えるんじゃないかと薦められたが、こんな生活がいつまで続くかわからないし、いざという時車は使えるようにしておいてもらわないと困るので、燃料系は温存の方向で。

そう、車ならエアコンがあるから暖房の心配をしなくて済むんだけど、電気が止まっている今ストーブもコタツもつかないのだ。正直祖母が寒そうだったけど、電源のついていないコタツに入ってもらうことで凌いだ。室内の温度がどれくらいかは計っていないからわからないけど、「外よりはマシ」な室内温度だったと思う。室内が暗くてもっと毛布を持ってくることさえ出来なかった。

19時36分 緊急地震速報

この頃になると緊急地震速報もあてにならない物ばかりです。なぜなら、余震はかなり頻繁だったので、大きい地震も小さい地震も結局どうすることも出来ません。緊急地震速報が鳴ったからと言って大きいのがくるわけでもなかったので。あの音楽、トラウマですね。ラジオの緊急地震速報も割と頻繁でした。倒壊の危険がない建物……しかも自宅に家族で居られたのは精神的にすごく楽でしたね。

20時26分 弟からメール

「携帯水没したから連絡取れない。今日は(某所)の友達ん家に泊めてもらう。明日帰る(ピース)そちらも気をつけて(b)」

こいつ……普通に絵文字使ってやがる!

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好き嫌いの激しい雑食性偏食家。天使と青色1号が好物。脳みその主成分がSFと人外とファンタジーで出来ている。
絵が描けます。小説も書きます。
月の住人と同居中。創作国チョコミン党きのこの山派メーデー民ゲーマー。乗馬はじめました。
youtubeにゲーム実況動画投稿中。

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