降臨者6

 部屋には一応トイレとシャワーがついていた。驚いたのは、トイレがきちんと水洗式だったことだ。

 トイレ自体が年代物なのか、お世辞にもきれいとは言いがたいが、水もきちんと通っているし、設備としては問題ない。
水を流すスイッチには、手のひら大の青い魔法陣が描かれており、それに手をかざすことで水が流れる仕組みらしい。なんとなく赤外線式のスイッチに似ている。
おそらく魔法の力なんだろうが、どういう仕組みなのかは後でカインあたりにコソッと聞いてみよう。

「魔法ねぇ……」

 にわかには信じられないが、この世界に来てから、その存在は既に目にしている。
ナギカたちがナギカたちの世界で、電気を使って生活するような当たり前さで、この世界の人たちは魔法を使って生活しているのかもしれない。その暮らしは、もしかしたらナギカたちと、ほとんど変わらないのかもしれない。

 シャワーについている、光る青い魔法陣。その小さな円の中には、無数の読めない文字が描かれている。手で触れれば光は消え、同時に今まで出ていたシャワーの水も止まった。
仕切のカーテンを開けて、無造作に積んであるタオルのうち、一番きれいそうな物を選んで身体を拭く。

 せっかくシャワーを使っても、着替えは新しい服ではなくさっきまで着ていた制服で、しかもそれは転んだりなんだりしたせいで、かなり土埃を纏っているが、この際仕方がない。
下着の替えもないのが気分的に不快だが、これもまた仕方がない。

「ねー、まだぁ?」

 ドアを開ける音と共にすぐ側で聞こえた声。

「ちょっと……! なに勝手に開けてんのよ!」
「もう行くよ?」
「そうじゃなくって!」

 ノックもなしに入ってきた当の本人……カインは悪びれもせずにフンと鼻を鳴らして踵を返した。

「はぁ、まあ良いか……」

 着替えが終わっていて本当に良かった。

「今日中にアスターに行って、パパッと報告は終わらせたいんだから早く」

 ぶん、と尻尾を振ってせかされた。
本当はきちんと髪を乾かしたかったが、ドライヤーらしき物は見あたらなかったのでタオルで拭くしかない。生乾きのまま外へ出るのも抵抗があったが、もうどうしようもない。

 ドアを開けると、ズラッと昨日の獣頭メンバーが勢ぞろいしていた。
身体の大きな彼らが三人も並んでいると、妙な威圧感がある。ついでに廊下がとても狭く見える……実際狭いが。

「遅かったな」

 若干イギーの口調が苛立ちを含んでいるようにも見える。もしかしたら、のんびりシャワーを浴びている場合ではなかったのかもしれない。

「ごめん……そんなに待ってるとは思わなくて……」

 具体的な集合時間を聞いていなかったことを言い訳にしたいが、グッと堪えた。

「良いじゃないか、女性は身だしなみに時間がかかるそうだからな」
「さすが、妻子持ちは心構えが違うな……」

 さりげないランカーのフォローをジャギが茶化す。
熊頭のランカーに妻子がいると聞いて、やっぱり奥さんも子供も熊なのかな? と余計なことを考えてしまった。

「まあいい。挨拶に来ただけだからな」
「ナギカとカインはアスターに向かうのだろう? わたしたちの用事はもう終わったので、持ち場に戻らねばならんのだ」
「えっ、じゃあ……」
「ここで、お別れだ」

 ランカーがそっと差し出してきた手を握り返した。

「短い間だったけど、ありがとうランカー」
「なに、大したことはしてないさ」

「おいおい、俺たちには礼は無しか?」

 ジャギとイギーが騒ぎだす。もちろん、二人にも感謝はしている。

「ま、近いうちにまた会えるさ。な?」
「ふふふ……そうだな」

 イギーたちは意味深な笑みを浮かべてそう言った。
そしてポンポンとナギカの肩を軽く叩いて注意した。

「街の中ならば、夜にさえ気をつけていれば危険はないだろうが、念のためだ、コイツから離れるなよ」

 ジャギがそう言って指さしたのはカインだ。突然指名されてびっくりしたのか尻尾がひょこひょこ揺れている。
それを見て、ナギカが微妙な顔をしたのにカインは気づいたらしい。

「嫌なら別に良いけど……」

 カインは拗ねたようにそう言って、そっぽを向いてしまった。

「いや、そういう訳じゃないんだけど……」

 もう……めんどくさいなぁ。

 それにしても、ジャギまでトリトと同じことを言う。
念のためと言われたが、できるだけカインからは離れないようにした方が良いのかもしれない。
ただでさえ他に頼るものはないのだから、なおさらだった。

「……来たようだな」

 そんなやり取りをしていると、ジャギたちが宿の入り口を見たので、釣られて視線を向けた。
ドアが開き、今まで姿の見えなかったトリトが入ってきた。彼はランカーたちが廊下に勢ぞろいしているのを見て、急いで駆けつけてきた。

「すみません遅くなってしまって。サンドランド行きの走竜は確保しましたから、後の報告はよろしくお願いします」
「走竜?」
「昨日ナギカも乗ったろ?」

 あれは馬車じゃなく、走竜と言うらしい。

 どうやらトリトはナギカがシャワーを浴びている間、走竜の手配をしていたようだ。

「お前も、アスターに着いたらさっさと戻って来いよ」
「……そのまま帝国軍に行くのは無しだぜ?」

 トリトの肩をバシバシ叩きながら、イギーは軽い口調で言ったが、それを聞いてトリトは真顔になった。

「しませんよ……そんなことは」

 トリトはつぶやくようにそう言って三人から視線を外した。

「早くしないとまた日が落ちるぞ」
「じゃあ、行きましょうかナギカさん」

 促されて宿を出ると、昨日乗ってきた走竜の他に、もう一台新しい走竜が用意されていた。こっちはランカーたちが乗る用らしい。
トリトは三人に目もくれず、さっさと走竜の手綱を握った。同じように別の走竜にはランカーが手綱を取り、残りの二人は後ろへ乗り込んだ。

「じゃあな!」

 ジャギがこちらに向けて軽く手を振る。ランカーは走竜にGOの合図を出した。

「ジークによろしくな!」

 そう言ってカインは、ジャギたちに向けて大きく手を振った。
それに答えるように、三人もそれぞれ手をあげる。
たった一日一緒にいただけだったけれど、一気に三人もいなくなってしまうのは、なんだか心細かった。
少しずつ走竜が遠ざかっていく。

 それを見届けて、トリトは走竜と荷台の二ヶ所を指さし、カインに聞いた。

「どっちに乗ります?」
「荷台は尻が痛くなるから勘弁してほしいんだけど……」

 そこでカインはチラリとこちらを見た。

「まあ、荷台に乗ろうかな」
「何でこっちを見たのよ……」

 渋々といった様子で荷台に乗り込むカインを、後ろからどついてやりたくなった。

「ナギカさんは……当然荷台ですよね」

 聞かれる前に荷台へと足をかけているナギカを見て、トリトはあえて聞くのはやめたようだ。
どうしても、あの黒いドラゴンに直接またがる勇気がない。
……と言うか、荷台がついているのに走竜にまたがる必要はないと思う。

「行きますよ!」

 トリトの声と共に走竜は走り出した。相変わらず、乗り心地は良くない。
クッションの類が何もないから尚更だ。

「そうだ、ここからアスターまで、時間はどれくらいかかるの?」
「ん~……三、四時間ってとこかなぁ」

 目の前で尻尾の毛繕いをし始めた少年は、曖昧にそう答える。
あまり参考にはならなさそうだが、一応の目安として覚えておいても良さそうだ。

 しかし肝心の現在時刻を知ろうとして鞄を漁っていると、スマホを持っていないことに気づいた。
そう言えば、スマホはカインが魔法でどこかに飛ばしてしまったのを今更思い出した。
荷台の窓から見える太陽は、相変わらず真上を指している。普通に考えれば、正午に相当するはずなのだが。

 唐突に、聞いてみたくなった。

「ねぇ、今何時?」
「ん?」

 そこで時計を取り出すのかと思いきや、カインは微動だにしない。
少しだけ考えるように目を閉じてから、言った。

「10時37分32秒だな」
「はぁ……」

 秒数までキッチリ言うところが怪しい。

「適当言ってない? それって合ってるの?」
「タイムズが言うんだから、間違いないんだろ」
「……その人は誰?」

 突然知らない人の名前が出てきたので聞いてみた。

「イソラだ」

 全く答えになっていない。
それにしても、目を閉じただけで会話をしている様子もなかったのに、まるでテレパシーでも使ったかのように、この少年は次から次へとこちらが理解できないことを普通にするからついていけない。

「それも魔法ってやつ?」
「違う。イソラ同士は情報の共有ができるんだ」
「その話で行くと、あんたもイソラなのね?」
「そう、この世界にたった一人のね」

 今さっきタイムズと『イソラ同士の会話』をしたくせに、この世界でイソラはたった一人しかいないと言う、彼の言葉は矛盾している。

「今すぐすべてを知る必要はないんだよ、ナギ」

 更に問いつめようとしたが、その言葉に遮られてしまった。
確かに、こんなに訳のわからない世界のすべてを知ったら、混乱しそうだ。
あまり深く考えるのはやめよう。

「おれは説明が得意じゃないから、今度説明が得意な奴を呼んでやるよ。質問はそいつにしてくれ」
「あぁ、うん」

 聞きたいことはたくさんあるが、説明が苦手と言われてしまえばそれまでだ。
それに、カインに聞いたところで混乱を深めるだけに終わる気がする。間違いない。

 諦めた様子のナギカを見て、カインは自分の袖に手を突っ込んだ。
何をしているのかと視線をやれば、袖から引きだした手には、銀色の円盤が握られていた。

「ほい」
「わっ……何?」

 投げてよこされたその銀色の円盤は、何となく見覚えのある形状だ。
化粧品のコンパクトのような。しかしつなぎ目もスイッチも何もない、まさしくただの銀色の円盤だった。

「光に透かして」

 そう言う彼の言葉に、即座に「透けるわけ無いだろ」と言い返したくなるのをこらえて、荷台にいくつか開いている窓に銀色の円盤をかざしてみた。
すると銀色の円盤は透明になり、言葉通り『透けた』。
そして光る文字が浮かび上がる。そこには……

「すごい……これ」
「数字は世界共通だろ?」

 光る文字はナギカの世界の数字だった。
10:41
その数字が表すものは、紛れもなく時間だった。

 と言うか、最初からこれを出してほしかった……

「あげるよ」
「えっ……ありがとう」

 なんだかとても高価なものを貰った気がするが、返せるものが無いので、貰えるものは貰っとこう精神でありがたく受け取る。

 時間の見方は分かったが、もう一つだけ凄く気になることがある。

「この世界の太陽だけどさ、いつも真上にある気がするんだよね……」

 先ほど時間を聞いてみたのも、本当はそれがどうしてなのか知りたくて聞いたのだった。

「あぁ、あれは太陽じゃなくて、『日(ひ)』。火の玉なんだ。一日しか持たない、人工の太陽だよ」
「火の玉……それも魔法って奴?」
「アレは、魔法じゃない。魔法よりもっとおぞましいものだ。アレを作り出せるのは、神託によって選ばれた巫女だけ。日は必ず決まった時間にインフィニティから昇って、数時間で消える。日の長さは巫女の力が強ければ強いほど長いよ」
「ふーん……巫女、ね」
「インフィニティって国は常に鎖国してるから、降臨者と言えども巫女に会うことはできないぞ。ついでにこの国の戦争とはぜんぜん関係ないしな」

 そうして少しの間話をしていると、突然走竜が止まってしまった。
目的地に着いたのかと思いきや、それにしてはずいぶんと早い気がする。
カインがトリトに確認をとる。

「どうした?」
「いえ、ちょっと問題が……」

 歯切れの悪い返事に、カインが身を乗り出して外を確認する。
ナギカもカインの後ろ側からコッソリ顔を出して外を見た。

「なんか、見たことある連中だな……」

 ボソリとカインがつぶやいた、その視線の先に人だかりが出来ていた。
人の輪の中心には騎士の姿をした三人組が、何かに群がっている。周りにいるのは野次馬だ。
騎士たちは皆一様に、白い特徴的な鎧を身にまとっていた。
ランカーたちは簡素な鎧を、それぞれが着やすいようにアレンジして着ていたが、こちらの騎士たちは鎧の装備も色も模様も、おそらくサイズもすべてがお揃いで、外側からは見分けがつかない。

「聖騎士団ですよ、あれ」

 トリトがそう言うと、カインは納得したようだった。

「ああ……引きこもり王の護衛集団か。アスターの城以外で見るの、久しぶりだったから忘れてた」

 その時、野次馬の輪が揺らいだ。囲むように立っていた騎士たちの隙間から、その中心になっていた何かが這いだしてきたのだ。
ナギカは驚いた。半ば転がるような勢いで這ってきたそれは、虎の頭をした子供だった。
殴られ蹴られ、身体中傷だらけで、服もただのボロ布と化していた。
リンチ、という言葉が脳裏に浮かんだ。これは、まさしくこれがそうなのだろう。

「どうします? 迂回しますか」
「いい、突っ切れ」
「助けてあげないの!?」

 ナギカですら気づいたのだ。
子供が暴行を受けているところをこの二人も見たはずだ。それなのに。

「ナギが一番嫌がっていた面倒事じゃないか」

 ケロリとした顔で、ぬけぬけとそんなことを言う。
しかし、ナギカの視界に、見て見ぬふりができない物が飛び込んできた。

 あろう事か、騎士の一人が剣を抜いたのだ。抜き身の剣を握りしめて、少年ににじり寄る。野次馬がざわめく。

「殺すつもりですね」
「そんなっ! 相手は子供でしょう!?」
「子供だからですよ。身体の小さい内に、力の弱い内に、殺しておくんです」

 トリトが何でもないことのように言う。

 ナギカの中に怒りが湧いた。トリトに対してではない。
元の世界に帰るという目標がある以上、面倒事は出来るだけ避けたい。それは紛れもない本心だ。
けれど、目の前で子供が殺されようとしているのだ。
見過ごすことは、出来なかった。

「……とめて」
「ナギ?」
「やめさせて! こんなの、ただの人殺しじゃない!」

『そうよ、ナギカ。あなたはただ、願うだけで良いの』

 騎士が、少年の首に引っかかっていたボロ布をつかんで、引き寄せた。
ナギカはカインを見た。

「あんたなら、止められるんでしょう?」
「良いのか? そんなことして……」
「やめさせて、カイン!」

『あなたの願いは、すべて叶うわ……』

 カインはナギの言葉に頷いて飛び出した。

 文字通り、飛んで。

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