降臨者5

「う~ん……」

 目を開けないまま、大きく伸びをする。
手や足に触れる感触は柔らかで、少なくとも荷台やごつごつした大地に直接横になっているわけではない事がわかる。
瞼に刺さる光から、今が昼間だということも。

 目を開ければ見慣れない天井だ。所々雨漏りの跡があるような、歴史を感じさせる木の天井。
シャドウに襲われたときにカインが言っていた、ここがまさしくそのボロ宿なのだろう。
寝ていたベッドのシーツも真っ白とは言いがたく、不衛生極まりない。普段ならこんな宿泊施設は千円でもお断りしたい。

 何だかんだで、異世界に来て丸一日経ってしまった。

 先ほどの夢は、何となくただの夢で片付けてはいけない気がする。その証拠に、夢という実感を持ちながらも、ソフィアと交わした会話を今でもはっきりと思い出すことが出来るからだ。
それに、ソフィアは確かに元の世界に帰してくれると言っていた。
しかし、彼女の頼みごとは一筋縄ではいかなそうだ。
あんな誰でも持っていそうなペンダントが、すぐに見つかるはずもないのだから……

 狭い室内にはカーテンのない小さな窓と、今寝ているベッドくらいしかない。
ベッドは一応二つあって、もう片方にヒトが寝ていた形跡がある。
脱ぎ散らかされた服や装備を見ると、どうやらカインと同室だったようだ。

 途端に不安になって身だしなみをチェックする。
靴は脱がされていたが、他はどこも乱された様子はないようだ。

 何部屋とったかは知らないが、男と同室なのはちょっと……と思うのは意識しすぎだろうか?
一応、うら若き十代の乙女(?)なのだから、少しは気を使って欲しい。
部屋を頼んだ奴には後で文句を言ってやる!
ナギカはそう心に強く誓った。

 とりあえず起きて、身支度をしようとベッドを降りた。脱がされていた靴は、ちょうど足下に揃えて置かれていた。
部屋の入り口と思われるドアの手前、通路の真ん中辺りにもドアがあるのが見えた。
ひょっとしたら、バストイレくらいは部屋に完備してあるのかもしれない。
昨日は風呂にも入らず寝てしまったようなので、何となく気持ちが悪かった。

 顔を洗おう。ついでにシャワーか何かがあれば良い。
こんなボロ宿にシャワーがあるかはわからないが、せめて水だけでも出れば、タオルで身体を拭くことくらいは出来るだろう。

 狭い通路を通って、トイレがあるだろうその部屋のドアに手をかけた……いや、かけようとした瞬間、ドアは内側から開いた。

「「あ」」

 まず、目に飛び込んできたのは濡れた金色の髪の毛だ。
クセ毛なのか、濡れた状態でもあちこちに跳ねている。ぽたぽたと水が滴っているが、お世辞でも今の状態では「イイ男」だとは言ってやれない。
並んで立つと、目線が同じだ。そうか、こいつ、意外と背が低いんだな。
あと、なんだか羨ましいくらいに色白だし、体つきも華奢だし、同い年くらいかと思っていたけど、一、二歳は年下かもしれない。

 ……それにしてもこいつ、なんで服着てないんだ?

 …………。

「きゃあああぁぁっ!!!!!」

 すべてを理解したと同時に壁を向いたが、見てしまったものはしょうがない。
そう言えば、部屋のあちこちにこいつの服が脱ぎ捨てられていたが、まさか着替えて出てこないなんて思わなかった!
信じられない! しかも、タオルなんて巻いていなかった!

 壁を向いて一人あたふたしていると、カインはさっさと脱ぎ散らかした服を拾っては、その場で着だした。
たぶん、身体は拭いていないんだろう。びしょ濡れの状態で服を着ている……これもまた信じられない。
ボスッ、とベッドに倒れ込む音が聞こえたので、恐る恐る目を開けてみる。
大の字に寝ころんだ彼は、だらしなくではあるが、一応服は着たようだ。

「同室の私に対する配慮みたいなものはないの!?」
「はー? はいりょー?」

 カインはのんきに仰向けになって、うーん、と伸びをして言う。

「ないな」

 言い切られた。キッパリと。

「あっそ」

 もうこいつにはこれから先、遠慮とか一切しないでやろう。この世界じゃ偉いんだか強いんだか知らないが、もう知ったことか。
心の中でそう決意すると、上半身を起こしたカインが言う。

「戦闘中に寝るなんて、ナギは神経が図太いと思ったんだけど、こういう細かいことは気にするんだな」
「うっ……」

 とても痛い一言だ。でも……
一つだけ聞き捨てならなかった。

(細かくないし……)

 それにしても、あの時は本当にどうかしていた。
外で斬りあったりする音や、シャドウたちの不気味な笑い声は聞こえていたはずなのに……
なぜか眠気が勝って、マジ寝してしまったのだ。疲れていたとはいえ、緊張感がないにもほどがある。
けれど彼はそれ以上、そのことについて追求してくることはなかった。

「……でも、ソフィアに会ったんだろ?」
「え……」

 どうしてそれを……?

 カインはまっすぐにこちらを見ていた。
真剣な、それでいてどこか寂しそうな顔で。

「あれは……やっぱり夢じゃない?」
「いや、夢というなら、この世界そのものが壮大な夢なんだ」

 良く、わからない。
彼は続けて言う。

「ソフィアは今、裏界(リカイ)と呼ばれる世界にいる。何もない荒野に、たった一人で。でも彼女はそれを悲しいことだとは思っていないよ、今の彼女には、心が無いんだ」

 心が無いとはどういうことだろうか。
確かに、彼女は一人で荒野にいた。けれど少しも寂しそうな様子には見えなかった。それどころか、何かを楽しむように、常に笑顔だった。

「ナギをこちらに呼んだのもソフィアだ。この世界は彼女のためだけに存在している。きっと彼女は暇を持て余しているんだよ。本当は、彼女が別の世界から引っ張ってきた人間のことを『降臨者』って呼ぶんだよ」
「なんだよ、それ……」

 唖然とした。
その話が本当なら、ナギカは完全にソフィアの暇つぶしに付き合わされているという事になる。

 迷惑だ。暇つぶしのためだけに呼ばれてしまったというのか。

「でも、彼女の行動にはすべて意味がある。彼女の願いを叶えれば、ナギは元の世界に帰れるはずだよ」
「元の世界……ね」

 そもそもソフィアがナギカを呼ばなければ、こんなややこしいことに巻き込まれずに済んだのに。
でも、そういえば先に手を取ったのは誰だったか。
ふざけているような声で「たすけて」と言った彼女は、本当に助けてほしかったのかもしれない。そう思って。

「降臨者ってのが何をするのか良くわからないんだけど……私はアスターに行って、その後どうなるの?」
「どうにもならないんじゃないかな。アスター王に顔を見せれば、それで終わりだろ」

 カインは何度も会えば良いだけだと言うが、いまいち納得が出来ない。
顔を見せただけで、後はご自由にだなんて、そんなうまい話があるんだろうか。

「まぁ、降臨者の中には、この世界じゃありえないような技術の知識を持っている奴がいたりすると、戦争を有利にできる情報を期待できるけど……見たところナギは科学者ってわけじゃなさそうだし、特別何かに強いわけでもなさそうだし。見るからに役にたたなさそう」
「……オイ」

 ズバズバと失礼なことを容赦なく言う男だ。
でも、何の能力もないことは良いことなのかもしれない。
少なくとも、やっかいごとを避けるには適していそうだ。

「とにかく、今のアスター王には顔を出すだけで十分さ」

 ベッドから立ち上がったカインが手を差し出した。一番最初に会ったときと同じ格好で。

「協力するよ、ナギ。ソフィアの願いが、早く叶えられるように」
「……ありがとう」

 その言葉は決して、ナギカのためだけを思っているわけではなかったが、他に頼るもののないこの世界で、協力してくれるヒトが一人いるだけでも心強かった。

 ナギカは差し出されたカインの手を、今度こそしっかりと握った。
出来ることは限られていそうだが、面倒を避けつつ、ペンダントを探すことに集中すればいい。

「そういえばさ、カインとソフィアってどんな関係なの?」
「ん?」

 ふと、気になった事を聞いてみることにした。
カインはソフィアのことに詳しいみたいだし、ソフィアの願いのためだけに協力まですると言うから。

 ひょっとして、二人は恋人同士なのかな? と、思ったりして。

 しかし彼は、当たり前の、何でもないことのように言った。

「おれは、『レッドアイズ』だよ」

 そう言って笑った。とても、寂しそうに。
それが質問の答えになっているのかどうか、今のナギカにはわからない。
その言葉の意味を聞く前に、カインは部屋を出て行ってしまった。

 取り残されたナギカは、力が抜けたようにベッドに座り込んだ。もしかしたら、彼に不快な思いをさせてしまったのかもしれない。

 何故あんな顔をするのか、良くわからないがソフィアの話題は、カインの鬼門なのかもしれない。

 そんなことを一人でぐるぐる考えて、気持ちが沈みそうになったとき、ドアをノックする音が聞こえた。
先ほど出ていったばかりのカインが、ノックをして部屋に戻ってくるとは思えない。とすると、来客だろうか?
特に心当たりはないが、ナギカは部屋のドアを開けた。

「おはようございます」

 立っていたのは昨日の御者だった。
そういえば、ランカーたちとは会話したので自己紹介が済んでいたが、彼の名前だけまだ聞けていなかった。
顔に出たのか、ナギカの様子に気づいた青年は、自ら名乗り始めた。

「ああ、まだ名乗っていませんでしたね。僕はトリトと言います。こう見えて、一応ジャギたちと同じ仕事に就いています」
「あ……昨日はごめんなさい、私はナギカよ」

戦闘中に寝てしまったという負い目があるせいか、少しだけ恥ずかしがりながら、二人は軽く握手した。

「ナギカ……良い名前ですね。不思議な響きだ」
「私の国では、ありきたりな名前だと思うけど……」

 ナギカの生まれた国である日本では、ありきたりな名前。トリトはまるでかみしめるようにナギカの名を呼んだ。
そして、トリトの目つきが急に変わった。

「ナギカさん、一つだけ忠告しておきます」

 突然の豹変に驚いたナギカは身構え、後ずさった。
トリトはナギカとの距離を詰めた。

「この世界で死にたくなければ、彼……カインと離れないことです」
「……どういう意味?」
「あのヒトはいつだって降臨者の味方です。離れなければ、貴女の身に危険が及ぶことはないでしょう。彼はああ見えて、この世界で一番強い力を持つ者……『レッドアイズ』ですから」
「レッドアイズ……」

 そう言えば先ほども、カインは自分で自分のことをそう呼んでいた。
確かに彼の瞳は赤かったが、それがどういう意味を持つのかは、今のナギカにはわからない。瞳が赤い奴は強いという法則でもあるのだろうか。

「……そろそろ時間なので、出かける準備をお願いします。昨日はそのまま寝てしまわれたようなので、気分が悪いでしょうから、そこのシャワーをどうぞ使ってください。それ位の時間はありますから」

 先ほどの迫力が嘘のような優しい笑みを浮かべて、トリトはナギカにシャワーを勧めた。確かに昨日はバタバタし過ぎたせいで体中汗だくだったし、ホコリまみれだったしと、そう思うと気持ち悪くなってきたので、お言葉に甘えてシャワーを使うことにする。

 が、その前に気になっていたことを質問してみる。

「そう言えば私とカインを同室にしたのって……」
「あ、僕です」

 ニコッと、笑顔で返された。

「大丈夫ですよ、言ったでしょう? 彼は降臨者の味方なんですから」
「私の気分の問題よっ!」

 バタン!

 叫んで、ナギカはシャワー室に引っ込んでしまった。

「僕たちと寝るよりは、よほど安全だと思ったんですけど……」

 今のは、トリトの独り言で終わった。

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