降臨者2

 ただただ広いだけの荒野。
その中心とも呼べるべき場所には、この荒れた大地に似つかわしくないものが存在している。

 階段を残して崩れさった建物のすぐ側に置かれた、真っ白なガーデンテーブルとイス、そして湯気をたてるティーカップ。

 今の彼女には、それが全て。

「ああ、結局、あの娘はダメになってしまったのね」

 優雅な仕草でカップに口を付けながら、白いワンピースの彼女はそう言う。

「でもね、時間も代わりもいくらでもあるのよ。あなたのやっていることは、時間稼ぎのつもりなの? それとも……」

 ひとくち、紅茶を味わう。
彼女の好きな、彼の煎れた紅茶の味だ。

「それとも……あれで『マリア』を救ったつもりなのかしら?」

 カチャン……

 無音の世界に、陶器の立てる音がやたらと大きく響く。
この空間には彼女以外に『ヒト』は居ない。
それでも彼女は語り続ける。

「……次は、良く考えてね」

 この声は確実に、彼の耳には届いているから。

「待っていたって……それに、私の名前……」
「どうして知っているのかって? お前がここに来ることも、お前という存在も、全部彼女は知っていた。おれはその事を彼女から聞いた」

 当たり前のように、少年はそう言った。
しかしそれで納得できるほど、ナギカは事態を把握しているわけではなかった。

「意味が分からない……彼女って誰?」
「ナギをこの世界に呼んだヒトだよ」

 少年の言葉を聞いて、ナギカの表情が険しくなった。
意識を失う前に、女性の声を聞いたような気がする。ぼんやりとだが、その事を覚えてはいた。
声を聞く前は、通い慣れた道をただ歩いていたわけだから、色々とおかしいことが起きたのは、その声を聞いてからなのだ。

「私は、別の世界に呼ばれたってこと?」
「そう。この世界は、ナギ達にとっての異世界ってヤツだから」

 異世界とは……少年はこともなげに言う。

 へぇ、そうなんだ。
ナギカは心の中だけでそう毒づいた。

 異世界だなんて、そんな本やゲームの中くらいでしか目にする機会のないものを、いきなり目の前に持ってこられても混乱するだけだ。
しかし、目の前に横たわるグロテスクな獣の死体も、少年の時代錯誤のおかしな装備も、そうと言われれば納得できそうな気がする。
事実、自分もいつの間にか全く知らない土地に居る訳なので。

 くらくらしそうな頭を抱えて、座り込みそうになったナギカを少年は制した。

「歩きながら話そう。こんな森の中に居て、夜になってしまったら……危ないから」

 少年はそう言ってナギカの背後をサッと睨んだ。
ガサガサと音を立てて、草木に潜んでいた『ナニカ』は去っていった。
視界に入ったのは一瞬だったが、それはとてもおぞましい姿をしていた。黒くて、足が何本も生えたヒトツ目の化け物。
それらは当然、ナギカの世界には居ないものだ。
さらに、ふと見上げた空を見て、ここが異世界なのだと確信する。

 空には月が二つあった。もしかしたら、月ではないかもしれないけれど。
昼間だと言うのに、はっきりと青白い光を放つ大きな月。その隣に赤い光を纏う月。
どちらも元の世界では見たことのない大きさだ。しかも、これほどまでに鮮やかな色をもつ月を、ナギカは見たことがなかった。

 ナギカが異世界の月を見て唖然としているあいだに、金髪の少年はすたすたと歩きだしてしまった。

「ちょっ、と……待って!」

 力の入らない足を懸命に動かして、少年の後を追う。
背後で、またあの気味の悪い化け物達が、獣の死体に群がる気配がする。それをあえて見ないようにしながら、道なき道をただひたすら、無言で歩き続けた。

 日中とはいえ、深く生い茂った暗い森には当然のことながら、舗装された道などない。
目印と言えるようなものもなく、それでも少年を見失わずに歩けているのは、彼が振り向くことはなくとも、ナギカの歩調に合わせてくれているからだろうか。

 木々の隙間から漏れる太陽の光に、少年の目立つ金髪が照らされてキラキラ光るおかげで見失うことはない。しかし、少年とつかず離れずの距離を保ちながら歩いていると、ナギカの視界に妙なものが入り込んでしまう。

 白くて、長くて、ふわふわとしたものが。

「もう何を見ても驚かないよ、私は」

 そう一人呟いて、そのふわふわをムギュッと捕まえた。

「いっ……てぇ!!」

 反応は意外にも過剰だった。
目の前の少年が、涙目で振り向く。

「……何すんだよ!」
「ああ、ごめん……本物だったのか」

 驚かない誓いをしたものの、やはり素直に驚いてしまった。
手触りは動物の猫のそれ。俗に言う尻尾である。人間には絶対についていないものだ。
作りものではないことの証に、それは自由な意志で動いていた。

 さすがにここまで来れば信じないわけにもいかないが、自分が本当に異世界に来てしまったのだと自覚した。

 もう、頭の中は混乱しすぎて、正常な情報処理を放棄しているのだ。
今度こそ、何を見ても驚かない決意をして、名も知らない尻尾付きの少年について行く事にした。

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