その日、ナギカは奇妙な夢を見た。
内容は全く覚えていないが、なんだかとても悲しい夢だった気がする。
だが所詮夢は夢。時間と共に、そんな夢を見たことすらも忘れてしまっていた。
しかし、今思い返せばそれは、予兆とも言えるべきものだったのかもしれない。
あいにく夢占いなんかの類にはまったく興味がなかったせいか、今更そんなこと言われてもどうしようもないのだが。
それはいつものありきたりな下校風景。いつもの時間、いつもの帰り道で起こった。
友達と別れて一人での道すがら、家までの数百メートル手前。事件・事故などいっさい聞いたことのない、通り道でのこと。
突然頭に声が響いたのだ。
女性の声で、『たすけて』と……
「私に、できることなら」
なぜ、何の違和感も感じずに、そう答えてしまったのかはわからない。疑問を抱く前に物事は淡々と進んでしまったから。
答えた瞬間に響いた笑い声。
そして楽しそうな、とても助けを求めているとは思えないほどの明るい声で、
『そう、ではこちらへ―――』
その声を聞いてから、意識を失った気がする。
気がつけば一人、薄暗い森の中。
都会に住んでいたナギカには馴染みのない風景。360度どこを見渡しても緑色の景色。
しかしそれを堪能する間もなく、ナギカは走り出さなければならなくなった。
「な、何……?」
獣の低いうなり声……
しかもそれはすぐそばで響いた。
背後の茂みから黒い影がこちらに向かって飛び出した瞬間、ナギカはその場から全速力で走り出した。
―――グルルオォォォッ……!
走るすぐ真後ろから、追いかけてくる獣の不気味な声が聞こえてくる。
ナギカは怖くてうしろを振り向けなかった。そのため、ナギカと獣の距離が、徐々に縮まっていることにも気づけない。
全速力で走ったのは、いつ以来だろうか……
足下にガッ! と衝撃を感じた瞬間、ナギカは受け身を取ることもできずに派手に転んだ。
どうやら木の根につまづいたらしい。判断できたのはそこまでだった。
うしろを振り向いた。
そこにいたのは、見たこともない大きさの黒い犬だった。いや、狼かもしれない。
四つ足の状態で、すでにナギカの身長を超えるほどの大きさだ。
真っ黒な体毛のむこうに、ギラついた金の瞳が見える。
黒い体毛とは対照的な白い牙を覗かせて、低いうなり声をあげて、よだれを垂らしながら迫ってくる。
獣が牙をむいた。
何とか立ち上がって、逃げなければ……
しかしナギカの足はピクリとも動かなくなっていた。逃げられない。
ナギカは目をつむって顔をそらした。瞬間、すぐそばで風切り音と甲高い獣の悲鳴が響いた。
恐る恐る目を開ける。
目の前には真っ黒なあの獣ではなく、剣を手にした少年が立っていた。
彼の剣は血に塗れていた。しかしナギカはそんなことより彼の容姿に引き付けられた。
少年は白い肌に金色の髪。そして剣についた血よりも濃く深い赤色の瞳を持っていた。こんな瞳の色をした人種など、ナギカは知らない。
少年は手にした血塗れの剣を一振りすると、腰の鞘に納めた。
上から下まで真っ黒な服を着て、真っ赤なベルトに剣をさした奇妙な少年……見れば見るほど不思議な光景だった。
「何をボーっとしているんだ?」
「……えっ」
ボーっとしたつもりはなかったが、うっかり彼を凝視しすぎてしまっていたらしい。
初対面の人間をまじまじと見つめるなんて失礼すぎるが、お礼の一言も出てこない。
ごめん。一言そういいたがったが、ムッとした濃厚な血の臭いに気づいてナギカは鼻を塞いだ。
すぐそばに、異臭の元は横たわっていた。
獣は倒れていた。
その体は胸から腹にかけて、バッサリと刃物で斬りつけられていて、真っ赤な血の海に、流れでた臓物が浮いていた。
喉の奥からこみ上げてくるものを、うずくまって必死にこらえる。
波をやり過ごしたところで再び少年を見た。
彼は腕を組み、木によりかかって変わらずにそこにいた。
まるでナギカを待っているようだった。
しかしナギカは彼に見覚えなどなかった。ましてや、助けてもらう理由さえも。
なんと声をかけるべきか、迷っていると少年の方から声がかかった。
「おれはお前を待っていたんだよ」
まっすぐに、こちらを見ている。
「待っていた……ナギ」
彼はナギカを知っていた。
→「降臨者2」
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