降臨者9

 ナギカは驚愕した!
自称食堂のゴミ屋敷っぷりに。

(というか……何でこんなに散らかってるんだ? これでよく店が運営できるな)

 素直にそう思う程の散らかりっぷり。
日本ならまず間違いなく、食品衛生法に引っかかるであろうレベルだ。

 シンクの中には、調理に使ったと思われる鍋やらナイフやらが洗われず片づけられずに置いてあるし、使ったと思われる食器の類もどれ一つとして洗われた形跡がない。
正直、これを見た後で料理を頼むことはないだろうな、というほどの惨状だった。
腐っているものがない事がまだ救いだ。

 しかし今は先にタオルを探さなければならない。
ナギカは無理矢理キッチンの惨状から目をそらした。

「タオルって……どの辺にある?」
「わからないの。でも洗濯物は階段より向こうの部屋に、いっぱいあったと思うのー」

 そしてエルーニャの指さす方向へ行ってまた驚く。
そこには衣服の山が築かれていたからだ。もちろん、着用済みの洗濯待ちの山だ。

 部屋の位置が階段の影ということもあり、どこからも見られる心配がないからなのか、洗濯物は脱ぎ捨てられっぱなしの散らかり放題で、まさしく山と積まれていた。

 今カインが着ているものと似たような衣服があることから、この山を築いた主な人物は彼であると知れる。
下着らしきものもちらほら見える上、返り血だか泥だか良くわからない付着物にまみれた物もあり、正直タオルを探すためにこの山をほじくり返す勇気がない。
臭わないだけマシだが、不衛生にもほどがある。

 ナギカはついにブチギレた。

「カイン―――!!!」
「あーあー、はいはい行きますよー」
「ちょっと何これ! いくら何でも酷すぎる、未使用のタオルはどこにあるの!?」
「えー、こっちの籠に置いてないってことは……全部使ったんじゃない?」

 カインが指さす籠とやらは空っぽだった。
しかし籠の下には、引き出しのついた箱がある。どうやらこれは棚らしい。
ナギカは覚悟を決めて引き出しを思いっきり引いた。そこには……

「あるじゃん、タオル! 良かった、未使用!」
「あー、そこに棚あったの、忘れてた……」

 タオルの場所どころか棚の存在すら覚えていないなんて、本当に家主なのか疑いたくなる。

 ナギカは清潔そうなタオルを選んで、水で絞ってから獣人の少年の身体の汚れを拭い始めた。血で汚れる他にも、泥や土埃で思ったよりもタオルの汚れ方は激しかった。

「まだ子供なのに、酷い……」

 いくら獣人の見た目が人間からかけ離れていると言っても、体つきはやはり子供だった。
思わずナギカがそうつぶやくと、それに反応してカインがこちらを見た。

「あぁ、そうだナギ。獣人のことについて、先に言っておこうと思う」
「……なに?」
「この国、アスターでは獣人は差別の対象だ。いくら降臨者でもあまり関わらない方が良い」

 意外と強い口調だった。それを聞いたトリトが目を反らしながらもこう付け加えた。
たとえこちらに敵意がなくとも、獣人の方に敵意がないとは限らない。
そしてナギカのような人間という種族も、少数とはいえこの世界で生活している。降臨者かどうかは一目見ただけでは見分けられず、何かの拍子に巻き込まれる可能性もあるかもしれないから、と。

「なんで? 亜人と獣人ではそんなに違うものなの?」
「……元は同じだよ。三つ子兄弟でも一人だけ獣人だったりする事はある」
「ランカーたちも獣人だったじゃない」
「あの三人も相当苦労して生きてるんだけどな。まぁ、獣人差別が特に厳しいのはこのアスターくらいなもんだけど」
「え、そうなの?」

 聞き返すとトリトやエルーニャも首を縦に振っていた。
なんで? と疑問が浮かんだが、口にする前にトリトが教えてくれた。

「アスターの王は、人間なんです」

 その一言で理解できてしまった。要するに、人間の姿からかけ離れるほど「ヒト」扱いされなくなるということなのだ。

「うっ……」

 その時かすかにうめき声が聞こえた。少年が目を覚ましたようだった。
何度か瞬きを繰り返し、きょろきょろと辺りを確認すると、突然ガバリと上半身を起こした。

「あ、生き返った」
「最初から死んでませんし」
「急に動くななのー! 傷が開くのー!」

 三者三様に声をかけるが、少年は置かれた状況が良く分からないのか、軽くパニックになっていた。

「大丈夫? もう痛いところはない?」
「オレ、生きてる……?」

 信じられないといったように身体のあちこちを触って確認している。
どうやら一命は取り留めたようだし、痛がる素振りを見せないことから、怪我の心配もなさそうだ。

 そうすると、今度は余計に少年のボロボロの服の方が気になってくる。
怪我は治せても服は直らない。少年の服は裂けたり穴が開いていたりするので、もはや服としての機能を果たしていないのがナギカはとても気になった。

「ねぇカイン、なんか服余ってないの?」
「あー……」

 そう言ってカインは先ほど洗濯物が山と積まれていた場所へ行くと、手に白い服を持って戻ってきた。
丸襟のシャツだ。赤いストールのようなモノも一緒にある。

「これ、結構大きめだからいけるんじゃないかな。ボタン留めなきゃ首元もキツくないだろ」
「どこにあったのコレ」
「ちゃんと棚の中にしまってたやつだよ。洗濯済だから!」

(あれ、なんか……現代服っぽい?)

 受け取って分かったが、デザインといい、生地の肌触りといい、どこかナギカの世界の服に近いものを感じた。
が、それを確かめることはせず、少年に服を手渡す。

「はい、どうぞ」
「……」

 ナギカが差し出した服を、少年は受け取らなかった。

「どうしたの? ひょっとしてコレじゃ小さいかな?」

 不安になり声をかけると、恐る恐るといった感じで少年が口を開く。

「ひょっとして、あんたが助けてくれたのか?」
「う、うん……」

 ナギカがしたのはあくまで少年を助けようと提案しただけで、実際にあの場にいた聖騎士団員を退けたのはカインなのだが。
ちらりとカインの方に目をやれば、あからさまに視線を逸らされた。巻き込むなということらしい。

「助けてくれて、その、ありがとう……」

 ボソリと、少年はそう言った。
その一言で、ナギカはあのときの判断が間違いではなかったのだと確信できた。同時に安心もした。
どんな差別を受けていようが、亜人だろうが獣人だろうが、やはり彼らはヒトなのだ。話も通じるのだから、見た目だけで人間と区別するのはおかしい。

(アスターの王に会ったら一言いってやる……!)

 そう決意して少年に向き直る。そして今度は服を受け取ってくれた。

「どういたしまし『ぐぎゅるるるるる~~』……て」

 ナギカの声を遮るように響きわたったのは、少年の腹の音だった。
カインとエルーニャもブッ、と吹き出して笑っている。
少年がうつむく。毛皮に覆われてさえいなければ、今頃顔色は真っ赤になっているのが見えただろう。
思わず笑いがこみ上げてきて、とっさに口元を手で覆った。その時だった。

『ぎゅるるるる~~』

 腹が鳴った。もちろんナギカのだ。
毛皮に覆われていない顔は、きっと真っ赤になっていることだろう。

「しょうがない、飯にするか」

 カインが背を向けてキッチンの方へ移動する。ひょっとして、作ってくれるのだろうか?
そう言えば、こっちに来てからバタバタし過ぎて、すっかり空腹を忘れていた。
普段は毎日一日三食、しっかり食べる派なのに丸一日以上食べるのを忘れるなんて、あり得ないことだ。まぁ、今現在あり得ない状況ではあるけれど。

 そんなことを考えて、ナギカははたと思い出す。キッチンの惨状を。
使用済みの食器が幾重にも重ねられ、洗われていない調理器具が、そのままの状態で放置されていた地獄のキッチン。

 第一、食器を洗うことも片づけることも、服を畳むことも洗濯することも出来ないような奴が、料理なんて、出来るのかと。

「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ったー!」

 距離にして僅か二、三メートルをナギカは全力疾走した。

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