エルーニャ
置いていかれたエルーニャの独白。「2.14」の後日談。
落ち込む日々は案外長続きしなかった。
そういう自分を自覚するとき、エルーニャはやはり自分は人間ではないのだな、と思う。人間はもっと、複雑に思い悩むはずだから。
しかし、別に自分が人間じゃないからといって、落ち込んだりはしなかった。
そこまで深い感情を、人間に対して抱いているわけではないからだ。
そのときのエルーニャの中に、まりあの存在はすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
長いこと一緒にいたような気もするが、もうどうでも良いことだった。エルーニャにとっては、その程度の人物だったのだ。
実際そんなに長く一緒にいたわけでもない。
カインも、もういつもの調子に戻っていた。
片付けよう。
まりあのいた場所を。
忘れたくてそうしたわけではなかった。
ただ、もういない人物のために、スペースを空けておくのが面倒だと感じたのだ。
まりあが持ち込んだものは、ほとんど無かった。
まりあはここにあるものだけで生活していたし、物欲も無かったから、私物らしい私物はほとんど持っていない。
唯一の私物といえるものは、彼女がこの世界に来たときに持っていたという、小さなかばん一つだけだった。
エルーニャはかばんを掴んで、そのままゴミ捨て場まで歩いた。
かばんは、軽かった。今のエルーニャの中の、まりあの存在と同じように。
ゴミ捨て場に着いてから、ようやくエルーニャはかばんの中身をあけて見ようと思った。
たいしたものは入っていないだろうと、わざわざ生ゴミの上でかばんをひっくり返した。
中から出てきたのは、やはりたいしたものではなかった。いくつかの文房具と、小さなメモ帳のようなもの。
よく見れば価値のあるものなのかもしれない。しかしそれらを拾い上げてみる気にすらならなかった。
やはりもう、エルーニャの中でまりあの居場所は消えていたのだ。
最後にぽとりと、かばんの底から何か落ちてきた。
それは見覚えのある箱だった。小さくて、きれいな箱。
何の箱だったか、もう思い出せなかった。
唯一それだけが気になって、拾い上げてみた。
ゴミの汚液にまみれた包装を破ると、中から赤い箱が出てきた。
なんとなく、それにも見覚えがあった。箱のふたを開けてみる。
エルーニャは、ふたを開けたことを後悔した。
思い出してしまったのだ。それが、何のための箱だったのか。
これを作っていたときの、まりあの顔を。
もう甘い匂いはしない。
その茶色い物体には、白いもので何か文字が書かれていた。
茶色いのも、白いのも、食べ物なのだから食べられるはずだ。
しかし、食べ物なのに、どうして文字を書くのだろうか?
その白い文字は、おそらくまりあの国の言葉で書かれていて、エルーニャには読むことはできなかった。彼も、同じだろう。
たとえこれを今渡したところで、まりあが文字を翻訳しなければ意味は無いのだ。
(どうして、言わなかったの…?)
エルーニャは手にしていた茶色い塊を、箱ごとゴミの山に向かって投げつけた。
板状の物体は、あっけなく割れてゴミの山に埋もれた。
時間になれば、ゴミ拾いの子供たちがやってくる。
あの茶色い塊は、腹をすかせた子供たちに食べられるだろう。
きっと、欠片も残らないはずだ。
エルーニャがあの時感じた苦い味は、もうしないだろう。
その味が何なのか、あの時のまりあしか知らないのだから。