まりあとエルーニャ
バレンタインくさい小話。
キッチンからやたらと甘い匂いが漂ってくる。
エルーニャはその匂いに誘われるようにして、寝床から這い出た。
階段を下りると、キッチンに立っていたのはエルーニャの予想とは違う人物だった。
「何してるのー」
「わっ!?」
キッチンに立っていた人物は反射的に持っていたボウルを後ろに隠した。が、エルーニャの姿を見たとたん、ホッとした顔をして作業を続けた。
甘い匂いを発生させていた人物は、まりあだった。
「ああ、ビックリした……」
そう言われてエルーニャはムッとした。なんだか邪魔にされている気がしたからだ。
そんな様子に気づいたのか、まりあは手にしていたボウルの中身をエルーニャに見せた。
そこにはドロドロに解けた茶色いものが入っていたが、エルーニャにはそれが何かわからなかった。ただ、その茶色いものは、とても甘いんだろうなということはわかった。
「……なんなの?」
「チョコレートよ」
この世界にもあるんだって知ったからには、やっぱり作らないとね。
そう言って、またまりあはボウルの中身をかき混ぜ始めた。
その様子が、どことなく楽しそうだった。
どうしてチョコレートがあるからといって、作らなければならないのだろうか?
アスターに行けば、チョコレートなどのお菓子の類は、作らなくてもそのまま食べられる形で売られているはずだ。
多少値は張るだろうが、降臨者であるまりあがそんなことをいちいち気にする必要は無いはずだ。
今、エルーニャの頭の上には、?マークがいっぱい飛んでいるのだろう。
くすくすと笑いながら、まりあはエルーニャに自分の世界の文化を語ってくれた。
明日、二月の十四日はバレンタインデー。
なぜその日なのか、何のためにあるのか。そんな事はまりあの中ではどうでも良い事らしかった。
ただ、この日は日ごろの感謝をチョコレートを渡すことによって伝えるという、女の子にとっての大切なイベント……らしい。
「いつも助けられてばっかりだからね。あたしの世界でのイベントだけど、やっぱりあいつに渡したいのよ。あいつがいなかったら、あたしは何度死んでたかわからないし、ね」
冗談っぽくまりあはそう言うが、彼女がそういった「怖い目」にあう姿をエルーニャは何度も見ている。
ひ弱な人間の身である彼女は、小さな傷ですら治すのに時間がかかる。手足を失えば取り返しがつかないし、一度死んでしまったら二度と回復することはできない。
なのに、彼女を狙う勢力は後を絶たない。
彼は、まりあに危険が及ばないように動いてはいるが、敵の数が多すぎてピンチに陥ることもしばしばある。
「感謝しても、しきれないわよね……」
薄く油を塗った金属製の型に、解けたチョコレートを流し込む。
後は固まるのを待てば出来上がりだ。用意の良いことに、ラッピング用の道具も一通り買ってあるらしい。
「明日まで内緒にしててね?」
「……わかったの」
話の主役の彼は、昨日から出かけていて、まだ帰ってきていない。
そんなに長い用事だとは聞いていない。
明日には、戻ってくるだろうか?
チョコレートが固まったのを見計らって、ラッピングの用意をし始めた、あのまりあの顔を忘れられない。
楽しそうで、うれしそうで、少しだけ、不安そうな顔。
エルーニャは少しだけ口出ししてみたくなった。
そんなものを渡さなくても、言葉を伝えれば済む話じゃないのかと。
もしもまりあが、あの箱を渡すときに何も言わなかったら、今日聞いた話を全て彼に言ってしまおうと思った。
あの箱の中には、甘い匂いと、少しだけ苦い想いが詰まっている。
しかし、きれいなラッピングを施されたその箱は、まりあの言うバレンタインデーとやらが過ぎても、彼の手に渡ることは無かった。
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