ロアとカヅイそしてジオとアインスタックフェルト
「覆水」の続編小話。異形とは。
異形は病のようなもの、とアインスタックフェルトは言った。
この世界がかかった、不治の病だ。治療法は一つだけ……だが今は無い。
小さな村に病を持ち込めばどうなるか、想像に難くない。
持ち込まれた異形の種はその村に静かに根を下ろし、今や数人程度では刈り取れないほどに大きく蔓延してしまった。
その結果、この村は地図からその名を消さねばならない。
「くれぐれも、今ここで揉め事を起こさないでくださいね。新しい聖獣にはこの土地を気に入ってもらいたいですし」
この土地、というのはこことサンドランドも含まれている。
長らく水源の確保に苦労していた砂の国は、聖獣を迎え入れることで変わろうとしているのだ。
聖獣の為にも、異形が出た土地は浄化しなくてはならない。
異形の影響を受けない八柱神である自分はともかく、こいつが呼ばれた理由は未だにわからないが。
アインスタックフェルト。
何度聞いても耳慣れない名前だ。
「ここまでほったらかしにしてた奴の言うことかよ。もっと早くに手を打てば、こんなことにはならなかったはずだ」
「そうかな? この中の二人をジオは見たことがないんだっけ。彼は彼女を愛しているし、彼女も彼を愛しているのは事実です。邪魔をしたらどうなることやら。現状、被害は最小ですよ」
「村一つで最小か……」
「異形の被害なんて、そんなものでしょう」
村の外観はもはや伺い知ることが出来ない。
植物のツタに似た赤黒い肉組織や、サナギの繭のような糸状の物質で村全体が覆われているせいだ。
手のひらを押しつけると、どこまでもふかふかと沈む。
普通の人間なら、この物質に触れただけで異形化するところだが、自分とどうやらアインスタックフェルトも、異形には耐性がある。
唐突にアインスタックフェルトの手ぶらが気になった。
「おいお前、ここまで来たからには手伝う気があるんだろうな?」
「いいえ、全然」
即答しやがった!
「何しに来たんだ!」
「見届けにきました。あの二人をね」
肉と繭の向こう側には、村の残骸が広がっていた。
人の住んでいたであろういくつかの建物は、異形によって浸食され、骨組みすらもほとんど原形をとどめてはいない。
胃の中で消化途中の肉のように、木も鉄もガラスも、あらゆるものがぐずぐずに溶けて融合しているのだった。
その中に一つ、原型をとどめてぽつんと建つ建物がある。
念のため装備していた銃に手が伸びたところで、アインスタックフェルトは冷たく言った。
「それはもう役に立ちませんよ」
「……だろうな」
銃をあきらめて、剣を抜く。
建物は意外なほどきれいに残っていた。まるでここだけ時間が切り取られているかのようだ。何の変哲もない木で出来た扉、土の壁。
扉に手をかけたとき、ほんの少しだけ周囲がざわついた気配がした。
「思ったよりもまともだな……ジオ、喜んでください。歓迎してくれるようですよ」
「……どっちの意味なんだか」
こぢんまりとした外観にふさわしい、シンプルな造りの家、その中央にテーブル、向かい合うように椅子に座る若い男女。
少女の方はうつむいたまま眠っているようだ。少年の方は、入ってきた自分たちに気づくと顔を上げ、微笑んだ。彼にとっては、久しぶりに見た来客の姿だったのかもしれない。
「いらっしゃい。すみません少し、うとうとしてしまって」
少年はゆっくりした動作で椅子から立ち上がった。寝ぼけているのか、未だ夢の中にいるかのように、足下がおぼつかない。
テーブル伝いに歩いて、少女の肩を揺さぶった。
「ああ、ほら、ロア。お客さんだよ」
ロアと呼ばれた少女は、少年に促されて初めて反応を見せた。
ゆっくりと顔を上げ、ジオたちを見つめたその目に光はなかった。
ジオは直感的に、この少女、ロアがコアだと確信した。
剣を握る手に力がこもる。それを見た少年の顔が険しくなった。
「あの……そういえばあなたたち、何のご用ですか?」
「心当たりはないんですか貴方、外の様子が気になったりしなかったんですか?」
「外……?」
「そいつが村人に何をしたか、見てないのか。俺の目にはそいつは異形に見える。もちろんあんたもな」
「異、形……?」
―――それは いったい 何のことでしょう?
少年が首を傾げる。
途端に壁がざわついた。まだ木の感触を残しているかと思われた家の壁にも、外と同じような肉の根が伸びる。
呆けた表情のまま、殺意だけをむき出しに少年がつぶやく。
「……ロアは、異形なんかじゃない、その証拠に、僕は何ともない」
「ジオ!」
「わかってるよ!」
アインスタックフェルトが叫ぶと同時に、ジオは剣を振るった。標的はもちろんコアの方、ロアだ。
しかし剣がロアに届くより少年の動きの方が早かった。
ジオめがけて先ほどまで座っていた椅子を投げつけてきたのだ。壁にぶち当たった椅子が砕ける派手な音が響く。
「だめだっ、ロア! 逃げて!!」
「ちっ、お前、邪魔すんな!」
(何が思ったよりまともだよ! 異常じゃねーか!!)
さっきまでの気だるい雰囲気はどこへやら、少年の動きは機敏だった。
椅子に怯んだジオの腰にしがみついて、離れない。
この細腕のどこにそんな力があるのか、ジオがただの人間だったなら絞め殺されているほどの怪力だった。もはや人間の力を超えている。
しがみつく腕は、ぎりぎりと強さを増していく。
「っつーかお前も、ボケっと見てないで何とかしろ!」
「いやぁ、愛ですねぇ~」
「言ってる場合か!!」
「まあ大丈夫ですよ。彼女、逃げる気ないみたいなんで」
アインスタックフェルトの言うとおり、ロアは椅子に座ったまま微動だにしなかった。
目は相変わらず虚ろなまま、少年だけを見ていた。
「ロア、お願いだから逃げて!」
少年がいくら懇願しても、ロアは逃げなかった。
壁がざわつく。しかしいくら待っても攻撃してくる気配はない。
「……異形に知性なんて、あるはずないんだがな」
「素敵ですねぇ、愛の力ですかねぇ……バインド」
「うっ!」
アインスタックフェルトの放った束縛魔法が、少年を拘束した。
「ロア! ロア! ロア!!」
少年はジオの腰にしがみつたまま、狂おしいほどにロアの名を叫び続けた。
しかし何度呼んでも、ロアはそこから立ち上がることはなかった。
「悪いが二人とも、もう手遅れだ。異形化を止める術はない……今のところはな」
人の形を無くしているものだけが異形ではない。
少年も少女も、手の施しようがないほどに異形化しているのだ。どんな異形でも放置しておく訳にはいかない。ジオは改めて剣を握りなおした。狙うのはバインドで動けない少年の首だ。
「だからせめて、苦しまないよう、一瞬で……」
―――ザシュッ……!
ジオの目の前に黒ずんだ血が舞った。
しがみついていた少年の首が落ちるより前に、ロアの胸は貫かれていた。少年の首を抱きかかえるようにして、ロアが少年をかばったのだ。
黒い血を流すロアを、少年も抱きしめ返した。
「ロア……どうして?」
「カヅイ……」
ジオはロアの胸を貫通しなかった剣の先に、堅い感触があるのに気づいた。それがコアだということにも気づいていた。後少し、ほんの少し力を込めればどうなるかも。
ロアはカヅイだけを見つめながら、言った。
「……ありがとう」
か細い少女の声が響く。
ジオは一瞬、何をすべきか忘れた。
「ええ、おやすみなさい」
その瞬間アインスタックフェルトが放った風の魔法は、無情にもジオの剣にひねりを加えて通り過ぎた。コアの割れる感触をジオの手にしっかりと伝えて。
「彼女も、彼を愛しているのは事実です」
「これが愛かよ……重すぎるぜ」
脳裏をよぎるのはかつて愛した女性の姿だ。
ほんの一瞬の出来事と言えるくらいの短い時間だったが、ジオにとっては大切な日々。
ロアとカヅイはどうだったろう、二人は、幸せだったのだろうか。
ジオの手の中には、二つに割れた紫色のコアがある。
これがロアだったモノのかけらだった。
確かに、ずしりと重い。
黒い煙となって消えた家には、ジオとアインスタックフェルトしか残されていなかった。
家だけではなく、村のあった場所はそこだけくり貫かれたように窪んでいた。
真っ黒な窪地には最早異形の驚異はないが、それを見たものの精神衛生を考慮して、周囲を焼くのが定例だ。
その仕事もジオが一人でやった。
魔法が使えないので火炎放射器で、だ。
「お前、手伝わないとか言っといて、ちゃっかりおいしいとこだけ持ってってんじゃねーかよ」
「うーん、それなんですけどねぇ……もうすぐ手伝えなくなりそうなので」
「ん? ソフィアの件か」
「そうそう」
世界がソフィアを失ってから、再びソフィアが現れるまで、『今回は』早かったな。
ソフィアが現れるということは、同時にイソラが復活するということか。
どういう原理か知らないが、アインスタックフェルトはイソラがいる間、世界に関わるのを嫌う。今回もそういうことだろう。
「ま、何にせよ今回は無事終了だ。誰かさんのせいで後味悪いけどな」
とっとと帰ろうぜ、そう言いたかったのに。
「……船はもう、造らないんですか?」
「馬鹿言え、俺にはもう、無理だ」
まだ、愛する人を失った感覚が消えない。
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