「庭園にて」

双子とガブリエル

双子が無邪気に遊ぶだけの話。

 顔も知らぬ父から名を与えられ、しかしすぐに取り上げられて、新しい名前を授かった。

 カインとアベル。

 古い文献に記された兄弟の名前らしい。
どちらが兄でも弟でも構わなかったおれ達は、その名前をお互いに、なんの抵抗もなくつけた。

 金の瞳をしたおれを、弟殺しの兄カインと。

 緑の瞳をした彼を、殺されて兄を呪う弟アベルと。

 結末のわかっている文献の兄弟の名前で呼び合い、笑うおれ達を見て、他の天使達は眉をひそめた。
けれどおれ達にとって、古い文献は現実味のないおとぎ話にすぎない。
なぜなら、おれ達は双子で、どちらが兄でも弟でもなく、土を耕す者と羊飼いのあの二人のように、お互いに違う仕事も与えられてはいない。
おれが嫉妬でアベルを殺すことなんて、ありえない話だ。断言できる。

「二人とも、あまり遠くへ行って、庭から出てはいけませんよ」

 緩くウェーブのかかった長い金の髪と、真っ白のローブを美しく着こなした女性体の天使が、まるで母親のような穏やかさで二人に呼びかける。

「はぁい! 行こう!」
「うん!」

 今、おれ達は二人で、七人の大天使の一人、ガブリエル様の庭に来ている。
妹のジゼルは、おれ達がずっと端の塔に閉じ込められていると思っているが、実は違う。
七大天使の内の何人かはおれ達の事情を知っていて、こっそり塔から出してくれるのだ。これはおれ達と七大天使達だけの秘密なので、申し訳ないと思いつつ、ジゼルにも言うわけにはいかなかった。
もちろん、機会があればコッソリ話そうと思ってはいるけれど。

 遊び場はもちろん彼らの庭で、誰の目も届かないために、自由に振舞える唯一の場所だ。
当然の事ながら、端の塔より何倍も広く、アベルと二人で走り回っているだけで十分楽しい。

 ガブリエル様の庭は、他の天使達と比べてとにかく草花の種類が豊富だ。
広い敷地に色とりどりの花が、所狭しと咲いているのはいつ見ても圧巻だ。花に集まるキレイな虫も、小動物達も、みんなおれ達を退屈させない。
天界は常春で、花は枯れることを知らない。ガブリエル様は花の世話自体が好きらしく、配置も毎日のように変えてあるので飽きる事がない。

「わっ! アレ見て!」
「えっ、なに? ……ぶわっ!」

 アベルが突然大声を上げるものだから、ついつられて上を見上げてしまった。
次の瞬間、降って来たのは大量の白。

 アベルが勢い良く満開の花を咲かせた木を蹴り飛ばすと、無数の純白の花びらが頭上から降り注いだ。
一瞬にして視界が花びらで埋め尽くされる。それと共に甘い蜜の香りが辺りに充満する。

「なにするんだよー!?」
「あっはははは! カイン、頭が真っ白になってるー!」

 ケラケラと笑い転がるアベルの頭も、同様に真っ白だった。

「ぶっ! ……あははは! アベルこそー」
「ホントだー」
「あはははは!」

 蹴られた木は、これだけ花びらを散らしてもまったく色あせない。すぐさま新たな芽を出し、蕾をつけ、花を咲かせる。
永遠に続く楽園。それが天界<エデン>だった。

 花びらまみれになって、二人でどこまでも青い芝に寝転ぶ。
視界を埋め尽くす青、そして緑。眩しいほどの青空がどこまでも広がっている。
そこにはただ、太陽だけが無い。

「そろそろ聖歌の時間かな」
「……うん」

 アベルはそんなこと無いようだが、おれは聖歌が大嫌いだった。
神をたたえるあの歌には、攻撃的なものなど一切無いというのに。
ピリピリとした神聖な空気が肌を刺すような痛みをもたらし、身体の力が抜けてしまう。聖なる気が思考をかき乱し、どうしようもなく気分が悪くなるのだ。

 聖歌が始まった。
天使達には心地良いこの歌は、大天使の庭には良く響く。

「大丈夫?」
「ん……ちょっと具合悪いかも」

 まるで、天使達から拒絶される悪魔になった気分だった。

 唯一、聖歌の届かない場所がある。それは他でもない自分達が幽閉されている『端の塔』なのだ。

「戻ろうか……あっ!」
「どうしたの?」
「誰かいる……あの人、確かイアル様の側近だったアリゼロスって人じゃない?」

 二人で花の茂みに隠れながら覗くと、ガブリエル様の宮殿には、黒髪のスラリとした長身の男天使が来ていた。
イアル様も七大天使の一人で、アリゼロスはその側近だった人だ。「だった」という過去形なのは正しい。つい最近側近を辞めたそうだから。
七大天使の庭など恐れ多くて普段誰も近寄らないが、まれに訪問者はある。
アリゼロスはキョロキョロと、何かを探しているようだった。

「見られたらマズイよ……俺たちが外に出てること、七大天使以外は知らないわけだし」
「早く戻ろう」
「うん!」

 しかし、戻るにはこちらへ来た時に使った次元通路<ゲート>を通らなければならない。
次元通路はガブリエル様が、自分の宮殿と端の塔の部屋を直に結んでくれた魔法の道だ。
自分達は空間魔法の類は一切使えないので、外に呼ばれる時は七大天使達に、その次元通路を作ってもらわなければならない。
庭で遊んでいた自分達が次元通路のある宮殿に入るためには、玄関を通らなければならない。それはつまり、今アリゼロスが立っている方面にあり……

「なんだ。誰かいるのか」
「……げえっ! こっちに、来る……!」

 アリゼロスは早足で真っ直ぐに、おれ達が隠れている茂みの方に向かってきた。
その時、腰に差していた剣に手をかけるのを見てしまった。

「隠れていないで出て来い……!」
「あ~あ、見つかった」

 まるでかくれんぼで見つかった時の様に、物怖じせずに茂みから出て行くアベルに内心ヒヤヒヤしながらも、これ以上隠れ続けると本当に剣を抜かれそうなので、アベルに続いて素直に顔を出した。

「……お前達、なぜここに」

 低い声でアリゼロスがつぶやく。
おれ達はここに居てはいけない存在だから、怒っているのだろう。

「ちゃんと許可は貰ってます。ガブリエル様に」

 アベルがガブリエル様の名前を出した途端、アリゼロスの目の色が変わった。

(まずい……)

 それは納得と言うよりは、更に怒りを濃厚にしたようだった。

「……彼らは悪くありません。私が庭に招待したのです」

 ピリピリとした空気を、穏やかな声が遮った。ガブリエル様だ。
ここはガブリエル様の庭であり、目だから、姿は見えなくとも何かあればすぐに来てくれる。

 しかし、ホッとしたのもつかの間。
アリゼロスはガブリエル様の声を聞いて、更に顔色を変えた。

「なぜですかガブリエル様! 彼らが何をしたか判っておられるでしょう!?」

 アリゼロスがまくし立てる言葉に、おれ達は硬直した。

「大罪人であるサタナエルを逃がしたんですよ!? それなのに……」
「やめなさい! けれど、私には彼らがサタナエルの封印を解く事、意図していた事とは思えないのです」

 サタナエル。その名は、天界で大罪人として知れ渡っている。
かつて七大天使の一人であったのに、八柱神の一人を殺した反逆天使。

 アリゼロスは、おれ達がサタナエルを逃がしたと言っている。
けれど肝心のおれの記憶に、そんな事実はない。

―――いや、本当はあるのかもしれない。
なぜなら、おれの記憶は不自然な形で途切れているからだ。

 カインという名前を貰ってから、それ以前の記憶がないのだ。

「え、サタナエル? 封印って?」
「……」

 アベルは何も言わない。
わけがわからず一人オロオロしていると、カブリエル様はそっと手を差し伸べてくれた。

「さあ、もう塔へ帰りなさい二人とも」

 アリゼロスの冷たい視線を遮るように、ガブリエル様はおれ達の背後へ回った。
けれど、アリゼロスの言葉は容赦なく胸を貫いた。

「聖歌もまともに聴けぬ、半端者め……」

 それは、翼を持たない天使への、侮蔑の言葉だった。

コメント