ジゼルと天使たち
ジゼルはいつものように端の塔へ向かった。
公に訪れるのは良くないと、わかっているがどうしても、確かめなければならないことがある。
それは、歌をサボっていた下級天使たちの戯れ言だった。
「聞いたか? せっかく塔に閉じこめていたサタナエルを逃がした奴の噂。七大天使たちも胡散臭いが、八柱神たちも相当怪しいぞ」
「ああ……それくらいの権限がないと、あの包囲網を事も荒立てずに突破するのは難しいってことだよな。見張りの奴らは何してたんだかな」
「それも聞いたんだが……『全く覚えていない』んだとさ」
「記憶でも操作されたのかねぇ? それじゃ見張りの意味が無いってんで、当時見張りしてた奴らは一斉降格だろ? かわいそうに」
白一色を身に纏った二人組の下級天使たちは、ジゼルに聞かれていることにも気づかず、ぺらぺらとくだらないおしゃべりを続けた。
「それで、結局誰が犯人だったか、わからないんだろ?」
「いや、わかっているそうだ。わかっていて、何の発表も無しだ」
「見て見ぬふりか……これはますます『上』の方が怪しいな」
「噂ではイアル様も姿を消したと言うし……これは」
「アナタたち……」
聞くに耐えかねて、ジゼルは二人の元へ姿を現した。
ジゼルの姿を認めた途端、二人の顔色はサッと青くなる。
今まで饒舌と言っても良いほどに、根も葉もない噂話を垂れ流していた口は引き結ばれ、その表情は、焦りというより恐怖を抱いているようだった。
いくらジゼルが少女に見えるとはいえ、その本性は熾天使である。
「……持ち場へ、戻りなさい」
何の表情も作らず、低い声で、そう言った。
二人の天使は揃ってピシッと姿勢を正し、深々とジゼルに頭を下げると、持ち場と思われる場所へそれぞれ飛んで行く。
本来ならば、下級天使が聖歌を歌うという仕事をサボった時点で重罪に当たる。
それを熾天使であるジゼルに見つかったのだ。
その場で処分されても、文句は言えないはずである。
しかしどうしてか、双子のこと以外に興味の無いはずのジゼルは、二人を見逃すことにしたのだ。
らしくない。自分でもそう思う。
なぜだかは、本人にもわかっていなかった。
ただのごくありふれた噂話だ。最近はこの手の話が尽きない。
胸がもやもやしていた。
サタナエルという反逆天使が逃走してから、天界は少しずつ変わっていっているような気がする。
それはジゼルたち、上級天使への不信感だったり、八柱神への忠誠心の減少だったり。
そういったものが積み重なって、キラキラしていたはずの天界全体が、まるで曇ったようになってしまった。
歌が減り、祈りが減り、光が、減っていく。
全てはサタナエルが逃走したことが悪いのだろうか?
いや、きっとそれはきっかけに過ぎないのだろう。
サタナエルがいなくなった日から、天界全体が少しずつおかしい。そう思いたかった。
しかし本当は、ジゼルは気づいていた。
おかしくなったのは、サタナエルがいなくなる少し前からだ。
頭ではわかっていることを、心が認めたがらないのである。
(だって、あの日は……あの日は、カインちゃんたちが……)
その可能性が少しでもあるのなら、ジゼルはそれを認めるわけにはいかない。
最愛の二人の立場が悪くなるようなことは、認めるわけないし、認めさせるわけにもいかなかった。
(確かめなきゃ……)
そう、悪いのはきっと、あの双子以外だ。それ以外にない。
きっと、そうだ。
そうに違いない。