ザインとソフィア
ザインとソフィアの、大昔の話。
赤い瞳に虹色の髪。
偽りの神として知られる容姿を持つその男は、常にソフィアの傍らに佇み、しかし誰からも関心を向けられることなく、ただ静かに存在していた。
奇跡の力を持つ歌姫と言われ、聖女として崇められるソフィアだが、実際に奇跡を起こしているのはソフィアの祈りでも歌声でもなくザインの力なのだ。
しかしザインはソフィアの願いしか叶えない為、人々の関心は気軽に願いをかなえてくれるソフィアに流れる。
異形の脅威が無くとも、人の願いは尽きない。
「傷を癒して」「病を治して」「作物を実らせて」
ソフィアの元へ願いは殺到し、彼女は可能な限り人々へ手を差し伸べ続けた。
彼女が歌えば傷は癒え、彼女が祈れば豊穣が約束される。
ソフィアはザインの手を取って微笑んだ。
「ねぇザイン、私たちこれからずっと一緒にいましょう。これからもずっと、人々の願いを叶えて世界を平和に導くの!」
奇跡には対価が必要だが、ソフィアはザインの「使い方」を良く知っていた。無知であるが故に。
願いを叶えることでソフィアの世界は輝きを増すのだ。ソフィアの世界は明るく、常に光り輝いていた。
たとえその周囲が暗くよどんでいたとしても、ソフィアの見る世界は、ソフィアの見える範囲でのみ輝き続けた。
世界は平和だ……ソフィアの中では。
どんな奇跡を起こせても、ザインと違ってソフィアはただの人間だ。
いつだってソフィアは短く命を終える。それは病気だったり事故だったり様々だったが、奇跡は起こらず、ソフィアはいつも自分だけは救えない。
ザインもソフィアの命だけは救おうとしない。
転生することが分かっているからか、そうなることが最初から決められているかのように冷ややかに死にゆく彼女を見送る。
人々の記憶に強烈に焼き付いた彼女は若く、美しい思い出のままで死ぬのだ。
ソフィアの死。奇跡の時代の終わり。
そうなると困るのはソフィアによる奇跡頼みで生きてきた人々である。
奇跡に慣れた世界には、ソフィアが死ぬのとほぼ同時にシャドウが蔓延るようになる。人々はおびえ、夜に家の外に出ることが出来なくなるのだ。
奇跡を起こし、世界を癒す歌姫はもういない。そうなってやっと人々の目はザインへ向けられるようになる。
しかしザインはソフィアの願い以外を叶えない。どんなにすがっても懇願しても、ただの一度も叶えてはくれないのだ。
人々は怒り狂った。理不尽な世の中に絶望して悲しんだ。ソフィアのいた世界がまぶしいほどの光に溢れすぎていたから、彼女が居なくなった世界の影の濃さが際立つ。
それでも救われることを諦めきれない人々はザインの元へと押し寄せた。
「なんとかしてくれ!」「お願い助けて!」「死にたくない……死にたくない!」
それでもザインはただ微笑むだけで、手を貸すことはなかった。
ソフィアが居れば助かったかもしれない人たちが次々死んでゆく現実に、人々の怒りは頂点に達した。
「どうして何もしてくれないんだ!」
一人の男がザインの襟首につかみかかった。
ザインはただ微笑んでいた。ソフィアの隣に佇んでいた時と同じように。
その態度が人々の神経を逆撫でする。一人また一人と人々はザインにつかみかかった。八つ当たりのように何人かがザインを殴りつけた。
「奇跡を起こせよ! 力を出し惜しみするな!」
ザインは何も言わない。
男はますます強くザインを殴り続けた。拳が裂けて血が出るほどに殴った。唇の端が切れたのかザインも酷く出血した。
すると殴りつけていた男の拳の傷が治ったのを、人々は見逃さなかった。
「おい、コイツの血に奇跡の力があるんじゃないのか?」
ある者がザインにナイフを突きつけた。腕を切られても顔色一つ変えずに佇むザインを気味悪がったが、滴る血に人々は群がった。
「奇跡だ! 奇跡の力だ!」
ザインの血には確かに怪我や病を治す奇跡の力が宿っていた。
ただ、ザインにつけた傷はなぜか治らなかった。あっという間に彼の腕は傷だらけになり、新たに刃物で傷をつけても血が出にくくなった。それでも人々は彼の血を求めることをやめない。人の欲には底が無いのだ。
ある男が、ザインのズタズタの腕に直接口をつけて血を啜ろうとした。しかし傷は乾ききっており、血は一滴も流れてこなかった。
そこで男は……
ザインの肉をかじって、飲み込んだ。
―――パキンッ
薄いガラスが割れるような音を人々は聞いた。
昼間だったはずなのに、空には太陽が無く、外も室内も突然真っ暗になった。
ザインは、もう微笑んではいなかった。
その赤い目は冷たく人々を見下ろし、何の感情も読み取れない。
「ぐ、ぉあァ……ッ」
突然ザインに噛みついた男が悶え苦しみだした。何事かと、人々はざわつく。
その瞬間、男が弾け飛んだ。正しく、「弾けて飛んだ」のだ。
ビシャリ、と男の血と肉が室内に散らばる。
人々は男の飛沫と肉片を被って、ようやく事態を飲み込んだ。
「ぎゃあああぁぁぁぁ!!!」
惨状から目を背けて、人々は一斉に逃げ出した。
逃げる人々をただ見つめ、ザインは静かに目を閉ざした。彼の体は煙のようにくすぶって消え、後に残されたのははじけ飛んだ男の肉片のみになった。肉片はブクブクと泡のように盛り上がり、それ自体が新たな生物のようにうごめき出す。
急速に肥大化するその肉片は、一夜にしてこの村一つを飲み込むだろう。
逃げ出した人々は、このバケモノを「異形」と呼んだ。
マリアという女は娘を産んだ。ソフィアという名の何の力も持たない人間の娘だ。
やがてソフィアの傍にはザインというイソラがやってくる。友人でもなく、恋人でもない二人の関係を詳しく知る者はいないが、ソフィアは歌姫として、聖女として、ザインと共に人々を苦しみから救う奇跡を起こす。
しかしソフィアは志半ばで死に、残されたザインは奇跡を起こすのをやめる。
……そしてザインは異形となるのだ。
このサイクルを、もう何度も繰り返している。
歴史書はよく読めば似たような歴史の繰り返しだ。それでも人は過ちを繰り返すことをやめない。
ソフィアの奇跡に沸き、ソフィアのいない世界に絶望する。
ソフィアのいない現実が辛ければつらいほど、世界はソフィアを渇望する。転生体であるソフィアが世界に生まれれば、まるで示し合わせたかのようにシャドウと異形はいなくなる。
この世界はソフィアのために作られているのだ。
ザインというイソラによって。
「さぁ、舞台は整った」
次のソフィアが、世界をまた輝かせてくれる。
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