「澱さえ消えて」

カインとまりあとブレイド

巫女に手を出した哀れな男の末路。

 世の中には、手に入らないものというのは確かにある。
しかしそれが、手を伸ばせば届く位置にあったとしたら?
手を伸ばさずにいられるだろうか。

「という訳で……頼む!」
「……」

 パァン、と両手を合わせて頭を下げる青猫の垂れた耳を、カインは冷めた目で見下ろした。

「どういうわけで頼むなんだよ……」
「ほら俺、配備されたばっかだし、実績上げたいけど戦闘は無理だし?」

 途中チラッとこちらの様子を伺うのが腹立たしい。
戦闘が出来なければできないで結構だが、最近この青猫……ブレイドからのこの手の依頼が多いのだ。

「でもホラ、俺青猫だからさぁ、目が良いからさぁ……頼むよ! どう見ても揉め事だったし、お前に頼むしかないんだって!」

 そこまで言われてしまえば、手を貸さないわけにもいかない。
あくまでも仕方がないなという態度を取りつつ、しぶしぶ腰を上げると背後から声がかかった。

「あたしが行こうか?」
「ま、まりあ!?」
「いいじゃない、亜人相手ならあたしも慣れてきたし、放置しておく方が問題でしょ」
「さっすがまりあ! たのむよ!!」

 よしきたとばかりにブレイドは声を荒げる。さっき戦闘があるかもしれないと言ったのは自分のくせに、率先してまりあを巻き込んでいくのはなぜなのだろうか。
まりあもまりあで、問題ごとに自分から首を突っ込んでいく性質は、色々と問題だ。

「おれも行くよ!」
「ありがとう! やっぱりその方が頼もしいわ」

 もともと行くつもりではいたが、うまくまりあに誘導された気がするカインであった。
愛剣を手に、セピアのもとへズンズン進むカインの後ろで、まりあとブレイドがサムズアップし合っていたことを彼は知らない。

 大国には珍しく、アステリアには聖獣がいない。
そのため、常に国民自体が異形・シャドウ・モンスターの脅威と戦って行かなくてはならない。

 戦う力はこの国で生きていくには必要不可欠の力でもある。
しかし戦えない者たちはやはり一定数いる。そういう者の為にあるのが王国聖騎士団だ。彼らは全員揃いの特徴的な白い騎士服を着ているので遠目でもすぐそれとわかる。

 愛竜であるセピアの背から地上を眺める。先ほどブレイドが見た揉め事の中心には王国騎士団がいた、ハズだったが。

「相手は何人だ?」
「聖騎士団のやつらが二人と……あれ?」

 そう言ってブレイドは目を細めた、地上の騒ぎは先ほど自分ひとりで見たときよりも、更に大きなものとなっていたからだ。

「なんか、さっき見たときより大事になってるな」

 何より地上から聞こえてくる怒号や叫び声などからも、これが異常な事態であることを告げている。
人々はある一定方向から逃げてきているようだった。人の流れを遡った方向に、見慣れた白い騎士服の人間が二人。

「聖騎士団? 倒れてるぞ!」

 パーンッ!

 その時、耳をつんざく鋭い音にまりあが驚いてカインの袖を掴んだ。

「おい今の!」
「銃声!?」
「まりあ! 地上に降りずにセピアと一緒に上空で待機していろ、様子を見てくる!」

 そう言ってカインは高度を下げないまま、飛行していたセピアの背から飛び降りた。
地上では立て続けに銃声が鳴り響く。しかしそれは一定の間隔で続いており、銃撃戦を繰り広げるというよりは、銃を持った一人が威嚇のために撃ち続けているという印象だ。そして人々は、その銃声の鳴っている方から逃げているようだった。

「なんなんだよ、これ……まりあ、平気か?」
「うん、大丈夫」
「あんまり下、覗かない方が良いぞ」

 とんでもないことになったと、ブレイドはとりあえず、流れ弾を避けるためにセピアの高度を上げた。

「おい! どうした、何があった?」

 倒れていた聖騎士団の二名は生きていた。ただし二人とも足を深く斬りつけられており、動けない状態で、出血量も多い。
何も手を打たなければ生死にかかわるが、カインはそれより銃声のもとへ急ぎたかった。
あまり得意ではないが、傷口をふさぐくらいなら時間もそんなにかからない。
二人の騎士に回復魔法をかけつつ、状況を聞く。痛みに顔をしかめつつ、二人は口を揃えていった。

「巫女……」
「巫女を、奪われました……」
「巫女?」

 その言葉で思い至る。インフィニティへの献上品だ。
巫女の素質を持つとわかれば、例外なく日の巫女としてインフィニティへ穢れのないまま献上しなければならない。
それはアステリアに限った話ではない。
等しく太陽の恩恵を受けるもの、全ての義務だ。太陽は日の巫女の命と引き換えのものだからだ。

「誰にだ、巫女の知り合いか?」
「この村の猟師です……」
「なるほど、あれは猟銃か」

 巫女がらみだとしたらまずい。
目的が何であれ、猟師の凶行を止めなければ。

 いや、もう手遅れかもしれないが。

「応急処置だけしておくけど、救護が来るまで動くなよ」

 カインの回復魔法は、このままでは表面の傷を塞いだだけに過ぎない。
動けば効果がないほどの浅い治療だ。騎士の二人は頷いてそのまま横になった。

 それにしても、その猟師、銃の他にナイフも持っているらしいが、巫女を連れてどうしようというのか。カインには見当もつかなかった。

 銃声の聞こえていた方角には祭壇が見える。
大勢の人間がこの方角から逃げてきたということは、おそらくは、巫女がらみの神事で人が集まっていた中での騒動だったのだろう。

 諦めにも似た感情で剣を手に、カインは祭壇へ歩き出した。

(ついにやった! やってしまった!)

 自分の心臓の音と、呼吸の音がやけにうるさい。
威嚇とはいえ、何度も撃ったせいで猟銃の芯が熱い。それとは対照的に、反対の腕で掴んでいる巫女の手は冷えるばかりだ。いや、それはもはや手と言って良いのかもわからない。巫女の腕は、男が掴んでいる部分からじわりじわりと黒ずんできている。
まるで男の穢れを吸うように、あるいは男の罪が巫女を染めるように。黒く、硬く、冷たくなってゆく。

 口から時折吐き出す真っ黒な液体は、男が巫女へ食べさせた物が変異したものだ。
苦しそうにえづき、背を丸めて男の腕にすがる巫女を、しかし男はどうすることも出来ずにただ眺めていた。

「もう、おしまいだ……」

 ゴボゴボッと、嫌な音を立てて巫女が黒い塊をいくつも吐き出した。まるで体中の内臓を吐き出しているようだった。
男が巫女に食べさせた量は二、三口だったはずなのに。
その些細な量でも、巫女にとっては猛毒に等しい。

 男は巫女が殺生を禁じていること、穢れた動物の肉を食べることが出来ないことを知っていた。知った上で、今日のこの別れの日に、猟師としていちばんの獲物である小鹿の肉を食べさせたのだ。
疑うことを知らない巫女は男の料理を喜んで口にした。「おいしい」と言ってくれた。

 男にとっては、もう二度と会うことができない巫女へ、自分という存在をわずかでも覚えていて欲しいという、些細な自己顕示欲だったのかもしれない。
あるいは、恋心だった。

 連れ出すなんて大それたこと、考えもしていなかった……といえば嘘になるが、それは夢や妄想のたぐいであり、実際に巫女と逃げるなんて最初から考えていたわけではない。
しかし男の『罪の食べ物』をこっそり口にしてから、徐々に顔色が悪くなっていった巫女を誰もがおかしいと思っただろう。疑惑のまなざしは男に向けられ、逃げるように家へ帰り、そこで我に返った。

 日の巫女の素質のあるものは、穢れのないまま献上しなければならない。

 罪を犯さない人間なんていないはずだ。穢れとは、形式的に言っているに過ぎない。
なぜなら、罪や穢れは目に見えないから。
男はそう思っていた。そう信じていた。

 家のドアが数人によって激しく叩かれた。蹴破られんばかりの勢いでドアを叩かれ、何人もの人間の罵声が浴びせかけられた。

「なんてことをしてくれたんだ!」
「お前のせいだ!」
「巫女をどうしてくれる!」

 そうしてようやく男は、自分の罪が取り返しの付かないものだと知った。
そして男は、猟銃を手に外へ出た。巫女の元へ。

「巫女がそんなに大事なら、なぜ、俺の手の届くところに……そんなに近くにいられたら、俺は手を伸ばさずにはいられない。手に入るのだと、勘違いしてしまう」

 カインが祭壇にたどり着いた時、男は猟銃で自分の腹を撃ち抜いていた。
至近距離で撃たれた散弾は、男の臓器を傷つけながらも即死にはいたらず、じりじりと弱火で炙られるように死んで行っている。
その傍らには、片腕が完全に炭化した『穢れ巫女』がうずくまって口から『穢れ』を吐いている。こうなってしまうと、日の巫女としては使えない。インフィニティは穢れ巫女は居ないものとして扱うので、そもそもインフィニティに入国することもできないだろう。

 カインは死が間近に迫った男を助けるでもなく、柱を支えに上体を起させると、まず落ちていた猟銃を拾って残弾を確認した。残りは二発だった。
男は細く浅い息を繰り返して、怯えた様子でこちらを見上げてくるが、男をここで殺すわけにはいかない。

 残弾を確認した猟銃を男に持たせる。
男は、わけがわからないといった顔をした。

「穢れ巫女は放置すると、異形になる」

 そう告げると、男の顔色がサッと変わった。

「なぜ、巫女は、まだ生きて……」
「それはもう巫女じゃない」

 黒い塊を吐き続ける様子から、おそらく罪の食べ物でも口にしたのだろう。
巫女にかかわるものは全て、穢れとは無縁でなければならない。しかし人は罪を犯す生き物だ、巫女が穢れを知らない状態でいられることは多くない。
カインはそうやって死んでいった穢れ巫女を数多く見てきた。
だからできるだけ早いうちにインフィニティへ献上してしまうのが、巫女にとってもいちばん安全なのだ。
一度穢れてしまったら、もう、どうすることも出来ない。

「そんな、そんな……ただ一度、手を伸ばしただけなのに……」

 男は呆然と猟銃を握り締めた。どこまでも自分勝手な男だった。

「それはお前には過ぎた器だよ。そこまで想うなら、せめて早く楽にしてやるといい」

 もうほとんど力の入らない手で、男は猟銃を構えた。
銃声と、その後もう一発の銃声が鳴り響いて、祭壇は静けさを取り戻した。

「面倒ごとホイホイブレイド君、しばらくおれの店来ないでくれるか?」
「えぇー、いや、俺関係なくね!? どっちかっつーと、カインの方が巻き込まれ体質……」
「なんにせよ、解決してよかったじゃない。あたし何にもしてないけど!」

 全てが終わった後、負傷者の手当てと事件の詳細については、ブレイドが呼んだ王国聖騎士団の応援に丸投げして逃げてきた。
深手を負っていたようだが、負傷した騎士二人も処置が早かったおかげで、すぐに復帰できるだろう。
当初の望みどおりこの件は、事件の早期解決に尽力したとして、ブレイドの実績になった。

「またアステリアから巫女は出なかった、か……」
「それって、聖獣がいないことと関係あんの?」
「多少はあると思う。でも問題は、巫女も出さないのにアステリアが日の恩恵を受け続けていることかな」

 そのうち大干ばつが襲ったり、アスターが異形だらけになったりして。
ボソッとカインが怖いことを言うが、ブレイドもまりあも大して本気にしていないようだ。

「でも良かったね!」
「ん?」

「死者が一人も出なくて!」

 まりあの笑顔に、カインは苦笑するしかなかった。

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