アゼルとアインスタックフェルト
アゼルの物語。
サンドランドに属する地域の一つに、テュロスと呼ばれる村がある。
枯れた土地はサンドランドと同じく作物の育ちが悪く、人々は飢餓に喘ぎ、村の崩壊とは常に隣り合わせだった。
そんな村にある日、種が持ち込まれた。
村長は村人を集めた上で、それを披露した。
「みんな見てくれ。これで食べ物に悩まなくて済むかも知れない」
枯れた土地でも少ない水で育ち、瞬く間に実を付ける作物の種だ。
村人は大層喜んだ。当然だ。
初めて育て、収穫した最初の年だというのに、村人全員に行き渡りなお余る、その作物の名はホマイといった。村人は大喜びで次の年の分のホマイの苗を準備した。
その直後、ホマイを持ち込んだ村長が病で亡くなった。
村の建て直しの道が開けた矢先の出来事であった。
そして、その混乱の中産まれたのが、アゼルという名の女の子だった。
アゼルが産まれた年、村は歓喜と落胆を繰り返していた。
いや、むしろ絶望の方が多かったかも知れない。
村の方針を示すべき村長が病で急死し、跡継ぎは十四歳で新たに村長の名を継いだ。
もちろん助言する者は居たが、元より村の状態は底辺からのスタートだったのだ。村は混乱を極めていた。
村長の死因は良くわからないまま、急病ということで火葬にされた。村長の葬儀のただ中で、アゼルは産まれた。
おそらくアゼルは歴代の村人の中で、もっとも歓迎されない赤子だったと言える。なぜなら、祝いの言葉を述べる者が居なかったから。
その原因はアゼルの見た目にある。
サンドランドの地域の者は土地柄、黒髪に黒肌、黒目が多い。ましてやテュロスは閉鎖的な村であったため、移民の血が入ることはほとんどない。
アゼルは白髪に白肌、ほとんど色素のない灰色の瞳で産まれた。
誰もが一度は母親の不義を疑ったが、そもそも母親はこの村から出たことがなく、家からもほとんど出ずに家事と内職で生計をたてる生粋の村女で、貧しいテュロスの村に立ち寄った余所者など、ここ数年居るはずがなかったのだ。
そして産まれた赤子は名前を付けられた。
畏れと嫌悪の意味を込めて、悪魔の名前を。アゼル、と。
村の中でただ一人、奇異な容姿をしては居ても、アゼルは十三歳まで何とか生きてこられた。
もちろん腫れ物にさわるような扱いを受けたり、影から石を投げられることは多々あったが、村人も悪魔の使い、あるいは悪魔そのものと噂されるアゼルのことを、真剣に殺そうとする者などいない。呪いや祟りが恐ろしいからだ。
母親は途中で育児を放棄したが、三歳年上の村長の弟は、何かとアゼルのことを気にかけてくれる。
彼は母親と一緒に住めなくなったアゼルに、狭いが、住むには問題のない家を与えてくれたし、定期的に食料も玄関前に届けさせてくれた。
おかげで病気にかかることも、飢えに苦しむこともなかった。
アゼルはアゼルで、十歳になる頃にはほとんど自立していたし、自分の立場も何となく理解して、できるだけ他の村人には関わらず、ひっそりと一人暮らしていくのに困らない分の作物を育てながら、穏やかに生きてきた。
しかしアゼルの胸中とは別に、村に流行る奇病は相変わらず猛威を振るっていた。
十三年前から流行るこの病は原因不明で、一度症状が現れると患者はあっという間に衰弱し、食べ物も飲み物も受け付けずに痩せ細って死んでしまう。
三年前にはアゼルの母親がこの病にかかり、アゼルが看取る間もなく死んでしまった。あっという間だった。
そんな時、アゼルは村長の弟にとある仕事を紹介された。
それは村に流行る病の正体を突きとめる研究、というものだった。
研究用の設備はそこそこの物が用意された。
最新とまではいかないが、帝国軍からの払い下げの設備を安く買えたということだった。
アゼルはこの仕事の依頼を二つ返事で了承した。
早速病の調査のため、村の土や水、生活用の井戸や患者の墓まで、ありとあらゆる物を調べた。
しかし研究面ではアゼルはどこまでも素人だった。
たとえ帝国軍の設備を使ったところで、知識のないアゼルにそれらを使いこなせるはずもなかった。
依然として原因は分からないまま、月日は流れていく。
怪しい物が紛れていないか、原因になりそうな物はないか、アゼルは村中からサンプルを集めて調べようとしていた。そんな矢先、その少年は現れた。
「お前、まだそんなことしてるのかよ」
「……え?」
村の土を調べようと、サンプルを集めていたアゼルの目の前に少年が立ちはだかった。
確か彼は、村長の二人目の弟だったはずだ。アゼルとは同い年の。
「無駄だって薄々気づいてんだろ、やめろよ。どうせ原因が分かったところで、誰も感謝なんてしてくれないんだからよ」
「でも私、これが仕事だし、感謝されたくてやっているわけじゃないの。本当に病の原因を特定したくて……」
「そんなこと、してやる必要ない!」
アゼルの言葉を遮って、少年は忌々しげに言い放った。
「みんな、病は悪魔のせいだって言ってる。みんなお前が病の研究をして、あわよくば病気にかかって死ねばいいと思ってるんだ!」
少年はそう叫んだ。
しかしアゼルは驚かなかった。
なぜならそれは、前から薄々感じていた事だったから。
「なぁお前、このまま村にいても、いつか村人か病に殺されるぞ。研究なんてやめて、早く別の場所に逃げた方が良い」
「でも……」
「お前が出ていくなら、俺も一緒に出ていくから。新しい住処探すの手伝うからさ」
だから一緒に行こう。
きっとそれは少年の本心だった。
産まれてからずっと、村人に疎まれ続けてきたアゼルには、少年を疑う心もほんの少しあったのは事実だ。
「ありがとう」
他の誰かに、アゼルが村を出るように仕向けろとでも言われたのかも知れない。
けれどアゼルは少年を本気で疑うことができない。
それほどまでに少年の言葉は真剣だった。
「でも、ごめんなさい。私もう少し調べてみたいの。もう少しで本当の原因が分かるかも知れないから」
「……だからそんなの、ほっとけよ! 原因が分かったとしても、お前がどうこうできる問題じゃないんだろ!」
確かに病の原因を突きとめたとしても、すぐに治療法が分かるわけではない。なによりアゼルにはそこまでの専門的な知識はない。
ただの素人が行う調査も研究も、たかが知れたものだ。
それでもアゼルは手を引くことができない。なぜなら。
「それに、本当の原因が分かったら、この病に私が関わっているかどうか、知ることができるもの」
「あ……」
「もしも本当に病が私のせいなら、すぐにでも村を出ていくわ」
「……っ!」
少年は唇を噛んで駆け出した。
アゼルは追いかけず、土のサンプル収集を再開させ、ようとした。
「こんばんは」
驚いた。いつの間にか男が立っていたからだ。
そしてなによりその人物は、アゼルと同じ、白い髪と肌をしていた。
村人ではない、余所者だ。一目で分かる。
「あのー、村長の弟さんってどこにいますかね?」
「……何の用ですか」
男は手に持っていた籠の包みを開いて見せた。
そこには見たこともない大輪の赤い花が何本も入っていた。
「プロポーズ用の花束をご注文いただきまして、お届けに」
「……村長の家は向こうの青い瓦屋根です。弟さんも住んでいるから、一緒にいると思います」
「行かないんですか?」
「興味ありませんので」
男は花束の包みを戻すと、青い瓦屋根に向かって歩きだした。
その後ろ姿を見て思わず呼び止める。
「あの……」
男は振り向いた。
よく見れば目の色もおかしい。左目は金色だが、右目は血のように赤かった。
「その髪の色、生まれつきですか?」
男は少し考える仕草をした後、ゆっくりと答えた。
「いいえ」
「……そう、すみません」
少し残念だった。男は今度こそ村長の家へと向かった。
その日、村をあげての盛大な宴会が行われた。
「……見つけた」
何度土を探しても、水を探しても、見つけられなかったモノが、種から出てきた。
それは種子の中でとぐろを巻くようにして眠っていた。
恐らく目覚める時は、人の体内に入った時なのだろう。
十四年前に流行りだした病の元凶は、十四年前に持ち込まれたモノに紛れていた。
今から気をつけるように言っても遅い。
それはもう村にとってなくてはならない程、欠かすことのできないモノとして定着してしまったのだ。
病は虫の形をしていた。その虫を育む種子の名を、ホマイという。
この村の主食である。
「どうしよう……」
虫下しか、あるいはホマイに巣くう虫をどうにか出来れば問題ないのだが、この虫は火でしか殺せないことが分かった。
つまり、どうすることも出来ないということが、わかった。
「とにかく、知らせなきゃ……」
ちょうど一年前、結婚したばかりの村長の弟。
彼に頼まれた仕事だ、せめて報告はしようと思った。
青い瓦屋根を目指して、アゼルは走った。
玄関の扉を叩こうとしたところで、手が止まった。中から複数の人の声が聞こえたのだ。
「……アレを、どこかにやってくれないか」
「アレ、とは?」
「……アゼルのことだ」
それは村長の弟と、一年前にこの村に来た、白い髪の男の声だった。
玄関の扉の隙間から、そっと中を覗いてみる。
誰かが、床に敷いた布団に仰向けに寝ていた。
いや、その顔には既に黒い布がかけられ、骨のような両手は胸の上で組んでいた。細い身体とは対照的に腹部は大きく、臨月であったことが知れた。
白い髪の男がうなだれた村長の弟に、諭すように言葉をかける。
「その子とこの病とは、関係がありませんよ、きっと」
それを聞いた村長の弟は激昂した。
「そんなことはどうでも良い! あの悪魔をこの村から追い出してくれ! もううんざりだ、こんなことは……何のためにあの花を買ったと思っているんだ!」
未だかつて見たことのない形相でまくし立てる。
「妻の病を治してもらうために、そのために青い薔薇を買ったんだ……でも遅かった、間に合わなかったんだ。だからあの悪魔を追い払ってくれ。それが私の願いだ!」
「おかしいな、この村に悪魔なんて居ません。居ないモノを追い出すことは流石に私にも出来ませんよ」
「どんな願いも叶えると言った癖にか! このインチキめっ!!」
そう言って村長の弟が感情のままに投げつけたのは、青い薔薇が挿さった花瓶だった。
白い髪の男はそれを難なく避けてしまう。
―――ガシャンッ!!
派手な音を立てて、花瓶は玄関の飾り窓をぶち破った。
地面に叩きつけられて割れた花瓶の中から、アゼルは青い薔薇を拾い上げた。それは造花ではなく確かに生花のようだが、完璧すぎてどこか人工物のようにも見える、不思議な花だった。
「今の音なん……アゼル?」
村長の二番目の弟も、音を聞きつけて離れから出てきた。
彼は割れた花瓶や飾り窓には目もくれず、まっすぐにアゼルの元へやってきた。
「どうした、なんで泣いているんだ?」
「……泣いてる?」
言われて初めて、頬を伝うものがあることに気がついた。
家の中から村長の弟が喚く声が聞こえる。
「出ていけっ! みんな出ていけー!!」
怒声、罵声、物が割れる音。
それらは全て、アゼルに向けられていた。
「……とりあえず、こっち」
村長の二番目の弟がアゼルの手を引いて、その場を離れた。
穏やかな人柄だったはずの村長の弟の怒鳴り声は、どこまで遠ざかっても耳に残る。
「一緒に、この村を出よう」
村長の家の裏手、小高い丘からは村の様子が一望できた。
小さな狭い村だ。
家々の畑には今年のホマイが実を付けて、金色の絨毯はどこまでも広がっている。広がりすぎている。
そしてこの中のどこかに、あの病は潜んでいる。
「お前が悪魔だなんてそんなの、みんなが勝手に噂するでたらめだって最初から知ってたんだ。こんな村出て二人で暮らそう? 俺の名前も、教えるよ」
その時、アゼルの視界に白い人影が映った。
思わずアゼルは彼の手を振りほどいた。
「ごめんなさい、あなたと一緒には行けない」
「どうしてだよ!?」
「悪魔に名前を教えてはいけないのよ、呪われるから」
「お前は何もしてない。悪魔なんかじゃないだろ!」
「……さようなら」
青い薔薇を握りしめて、アゼルは丘を駆け降りた。
後ろで彼が何か叫んでいたが、聞かないふりをした。
この村の住人たちの名前を、アゼルは一人も知らない。そして、誰一人知らないままで済む。それで良いと思った。
白い人影はホマイ畑の真ん中で立ち尽くしていた。
背を向けているのに、アゼルが駆け寄るのが分かっていたかのようだった。
男はぼんやりと語り出す。
「本物の悪魔はね、天使の姿をしているんですよ。そもそも肉体を持たない彼らの区別なんて、見た目では分からないんです。本質も元も同じモノだから、人間が見ただけでわかるはずがない」
「……」
「私の名はアインスタックフェルト。その花と同じ名前です」
男はアゼルの持つ青い薔薇に視線を投げた。
左右で異なる瞳の色が、この花の美しさのように、どこまでも異質だ。
「……どんな願いでも叶えてくれるって、本当?」
「神が不可能でも、私が可能にしてみせます」
完璧でインチキくさい笑みで、男が言う。
アゼルは青い薔薇を掲げ、その望みを口にした。
「私を、本物の悪魔にして」
聖獣によって豊かに変わったサンドランドの一地方に、テュロスと呼ばれる小さな村がある。
その村には、かつて悪魔が降り立った。と、今でも辛く苦しい荒野の時代の出来事が語り継がれている。
村は飢餓から脱した途端に奇病が流行り、村を去る者も、病に倒れる者も後を絶たず、テュロスは徐々に衰退していった。
そしてある日、村は悪魔に襲われた。
金の角を持つ黒い翼の悪魔は、村の至るところに火をつけて、たった一日で広大な田畑や倉庫を全て焼き払って、去っていった。
幸い犠牲者は出なかったものの、村は再び食糧を失い、多くの財産を失った。
しかし人々は悪魔の恐怖に怯えながらも、僅かに燃え残ったホマイを手に、また一から村の再建をしようと立ち上がった。
皮肉なことに、焼かれた肥沃な大地でホマイはすぐに豊かな実りをつけ、収穫量は以前よりも格段にあがった。
村は一度全ての財産を失ったが、ホマイの輸出だけで元の財源を確保できるほどに、驚くべきスピードで復興を遂げた。
そして不思議なことに、あれほど悩まされていた奇病にかかる者が、一人も出なくなっていたのだ。
その頃になってようやく人々は気づいた。
村から厄介者扱いされていた少女が、忽然と姿を消していることに。
少女の家が、まるで最初からなかったかのように消えていることに。
少女の名前がなんだったかも、思い出すことが出来なくなっていることに。
「それで、貴女は幸せなんですか?」
「ええ。私、今の自分の方が好きよ」
少女は銀の髪から生える金の角と、とがった長い耳を撫でて、黒い翼を折り畳んだ。
「だって私、悪魔(アゼル)だもの」
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